不登校・引きこもりからの大学進学塾

長期引きこもりが社会へ向ける暴力を回避するには

正直なところ、ここで時事ネタを書くのは控えているので、一応以下の話も少しずらして書いていたつもりなのですが、偶然にも色々と事件が重なってしまい、タイミング的に難しくなってきたため、ここら辺で諦めて書いておきます。要は、これから社会のアチコチで頻発するだろう問題が、また一つ・・・・・・と言ったところでしょうか。

 

【こども園襲撃】背景にあった“いじめ”“ひきこもり”“発達障害”

事件前にサポートはできなかったのか

https://news.yahoo.co.jp/byline/masakiikegami/20180602-00085743/

 

要点をかいつまんで行くと、

1:30代の長期引きこもりが、こども園の職員と子供達を襲った。

2:彼は発達障害持ちで、障害と過去のイジメが原因で犯行に及んだ可能性が高い。

3:罪は罪だが、同じ悲劇を繰り返さないために、丁寧な支援が求められる。

でしょうか。筆者の方の意見はもっともですし、反駁の余地はありません。「社会的監禁」というワードも分かりやすく、大筋バランスの取れた良質な記事だと思います。

ただ、個人的に思うのですが、今回の事件のような殺人や殺人未遂を含めた長期高齢引きこもりの問題は、どのみち今後も頻発します。「本人や家族のニーズに添った取り組みを」とか言っても、そんな予算も無いですし人員もありません。「世界人権宣言」みたいに、スローガン的な意味で言うのは構いませんが、現実的にはほとんど無意味でしょう。と言うか、ただでさえ人的資源が不足しているのに、本気で長期高齢引きこもりがサポート関係者に殺到したら、破綻するのは目に見えています。つまり、具体策は事実上存在しない。

となると、真面目に次善の策を考えるなら、ありがちなだけで、毒にも薬にもならない無意味なお題目を唱えることより、

「社会一般の人々を、いかに長期引きこもりの暴力から守るか」

という点に話を絞るのがスジでしょう。

 

話が複雑にならないように、先に現状の引きこもりの方向性を説明すると、現実には以下のようなルート設定となっています。

能力面で → 有能 → 「一般的社会人」※1

無能 → 修正可能 → 「少し出遅れただけの社会人」※2

修正不可能 → そのまま家にこもる → 「平和に孤独死」※3

家から出る → 「自分が悪かったんだ・・・・・・」 →「自殺」※4

「こうなったのは社会のせいだああぁぁぁ!!!」 → 「犯罪者」※5

私個人としては、周囲に迷惑をかけないという観点から、長期高齢引きこもりの終末は最善で※3、次善で※4を推奨していますが、今課題になっており、今後も確実に増え続けるのが、この※5でしょう。

で、現実的に※5に対する対策を考えるとするなら、非常に迷惑な話かも知れませんが、社会一般の人々が事前に犯罪に繋がりやすい引きこもりの性質を知り、自主的に危機感持つしかないと思っています。と言うのも、今回の事件のように、引きこもりと何も関係の無いにもかかわらず、自分の子供や家族が被害者になる可能性があるからで。「引きこもりの立場に立って」なんて悠長なことしてると、いつか殺人を含む、大きな事件が頻発することになります。「引きこもりは優しいから」なんて意見は何度も聞いてきましたが、そんなものは現実を見ていない人達の机上の空論か、或いはただの嘘で、特に優しいでもなく冷たいでもなく、元々は大体が普通の人達です。今回の事件も、端的にそれを物語っています。

 

包括的な具体策については、一部法改正が必要と思いますが、ある程度現実案がないでもないです。ポイントは「医療保険」です。

現行の医療保険制度は、「協会けんぽ」「組合管掌健康保険」「共済組合」「国民健康保険」の違いはありますが、基本的にどれも扶養制度があり、経済的に自立していない子供などは、基本的に親の保険料で自動的に病気や怪我をカバーして貰えます。この点を利用します。

通常、引きこもりは経済的に自立していないか、あるいはネット上での取引による、不安定かつ税務申告無しの非合法マネーで生活していることが多く、結果として医療保険は親の扶養になっています。となると、例えば、

「40歳以上 被扶養者 本人によるその他の医療保険加入歴無し」

「35歳以上 国民健康保険 長期間にわたり所得ほぼ0」

のような事例は、大多数が社会経験の無い長期引きこもりになるわけで、各健康組合と国が連携すれば、長期高齢引きこもりの住所や氏名等はすぐにスクリーニング可能です。場合によっては、フリーター等が混じってしまう可能性もありますので、源泉徴収票とリンクさせれば、よりその精度が上がります。

また、経験則上ですが、引きこもりの危険度は社会参画期間の長さに反比例します。分かりやすく言うと、「30歳まで仕事してて、それから5年間引きこもり」の場合よりも「12歳から35歳までずっと引きこもり」の方がより危険、ということです。実際、30歳以上で社会経験0の引きこもりは一部除いて大多数が「地雷人材」で、関わるとろくなことがありません。

この辺も、基本的には医療保険の加入履歴で大体のことが分かります。中小企業に勤めていれば「協会けんぽ」に、大企業に勤めていれば「組合管掌健康保険」に、公務員なら「共済組合」に、自営業者やフリーターなら「国民健康保険」になります。よって、大筋の経歴は、医療保険加入履歴で大体が分かってしまうわけです。

以上のように、医療保険と源泉データをまとめることで、各エリア毎に「長期引きこもり存在密度」と「各引きこもりの危険度」を大雑把に算出することが可能です。それに加えて、「締め切られたカーテン」「家から漏れる異音」「家族の憔悴感」といった、近所の人なら大体分かるミクロデータを加味すれば、更に危険性は見えやすくなります。後は、そのデータ結果から見て、周囲が対策を立てれば良い訳で。

具体的には、

1:言動が意味不明or声が小さ過ぎて聞き取れない。

2:服装が年齢相応でない。

3:目を見て話が出来ない。

4:表情の動きが悪く、作りがおかしい。

5:手が震えていたり、多汗だったりする。

6:態度のバランスが悪く、妙に高圧的である

の要件に複数当てはまる人物に遭遇した場合は要注意で、その場は問題なくとも、後になってから逆恨みされる可能性があります。

今回の事件のように、不審人物の側から何らかのアプローチがあり、それが「要求」や「批判」等の場合には、「何だコイツ?」とか思わずに、一度長期引きこもりの可能性を念頭に入れ、兎に角下手に出て丁寧な対応を心掛けて下さい。どんなにおかしな要望や様子でも、高圧的に出てはいけません。特に「昔の俺は優秀だった」系の引きこもりは、最も反社会行為を行いやすい傾向にあるようで、その片鱗が少しでも見えたら、取り分け丁重に丁重に扱うようにして下さい。「豚もおだてりゃ木に登る」は、決して嘘ではありません。言い方は悪いですが、真実です。

基本的に、引きこもりは自尊心が欠如しており、長期化するにつれてその傾向に拍車がかかります。結果、些細なことでも「侮辱された!」と勝手に判断し、包丁の一撃に繋げて来ます。本人の自尊心が欠損していることが最大の問題なのですが、彼等はそれを「お前らが悪い!」と勝手に解釈します。表面化しないだけで、引きこもりの子供からの暴力に怯える家庭は、常時このような緊張感を抱えているため「慣れ」があり、暴力を回避する方法を理解していますが、一度その暴力が「慣れ」の無い人々に放出されると、線引きが出来ないため大変なことになります。

引きこもりの凶行の怖いところは、こちら側で加害が全くなくとも、勝手に被害者意識を爆発させてくる点です。完全な被害妄想なのですが、それで殺されてはたまったものではありません。

 

社会経験の無い引きこもりは、今後どんどん追い詰められることになるでしょう。自暴自棄の行き先は、詰るところ「自殺」か「他害」の両者に振り切れる可能性が高いですが、それと比べれば、「自室でそのまま安楽死」がどれほど幸せなことか。このような話をすると極論に聞こえるかも知れませんが、現実はそんなものです。今回の事件にしろ、運が良かったから死者が出なかったものの、ナイフ振り回している時点で殺人の可能性は十分にあったわけです。それも、何の罪も無い子供をターゲットにした最悪の結果として。反社会的な危険人物の条件としては、十分過ぎる位でしょう。

これまでも、現実を無視して「引きこもり」という行為を都合良く解釈してきた無責任な人達は、良く分からない論理で延々と失敗を繰り返して来ましたが、もうその人々も高齢で、先は見えています。彼等の不始末を負うことになるのは、結局は引きこもりと何も関係のない普通の人々なのですが、せめて普通の人が被害を被ることのないように最善を尽くすべきでしょう。

「家から出すな 長期ヒキ」が、これからの現実的スローガンとなることを祈るのみです。

“長期引きこもりが社会へ向ける暴力を回避するには” への8件のフィードバック

  1. サスライの天才長期高齢当事者 より:

     おっす!
     
    今回の内容は概ね賛同ですわ。たまには良いこと書くんですね。

    ちなみに僕の実年齢は24歳だが、手遅れになった引きこもりも反面教師として役に立つし、今までの人生が苦しかった分幸せな余生を過ごせるのではないでしょうか?

     まあ、学校の勉強なんて今更しようとは思いませんが、これからの時代大切なのは臨機応変な判断力と行動力だと思いますね。学歴なんて寧ろ邪魔なぐらいでね。

     それでも若い高学歴層には、どうしても勝てる気がしないんですよ。少なくともナメられないようにしたいとは思いますが、結局若さは力ということなんだと思います。

    1月にコメントした時は僕も問題が山積みで、大変だったのですが、ここ数ヶ月で問題の多くが解決しアルバイトで稼いだお金のおかげで、経済的余裕を持った状態で障害者向けの就労支援を受ける状態になりました。

    僕の個人的な意見ですが、人間なんて生まれたときに、自分の大体の人生決めてるんだと思います。

     暇な時に、またコメントしたいと思います。

     

    • CARPE・FIDEM より:

      >サスライの天才長期高齢当事者さん

      >おっす!

       うっす!
       
      >今回の内容は概ね賛同ですわ。たまには良いこと書くんですね。
       
       たまにですけどね。
       
      >ちなみに僕の実年齢は24歳だが、手遅れになった引きこもりも反面教師として役に立つし、今までの人生が苦しかった分幸せな余生を過ごせるのではないでしょうか?
       
       24なら、まだ頑張って欲しいですな。
       
      >まあ、学校の勉強なんて今更しようとは思いませんが、これからの時代大切なのは臨機応変な判断力と行動力だと思いますね。学歴なんて寧ろ邪魔なぐらいでね。
       
       まあ、学校の勉強と一まとめにする必要はないですが、知識はあって損はないですぜ? 判断の命中率を上げるのは、知識ですからな。
       
       この辺は、
       
      >それでも若い高学歴層には、どうしても勝てる気がしないんですよ。
       
      の部分に繋がってきてます。知識あるんで、判断が命中しやすい。ただそれだけです。
       
      >少なくともナメられないようにしたいとは思いますが、結局若さは力ということなんだと思います。
       
       ナメられたって良いじゃないですか。私なんて、毎日ナメナメですよ。
       
      >1月にコメントした時は僕も問題が山積みで、大変だったのですが、ここ数ヶ月で問題の多くが解決しアルバイトで稼いだお金のおかげで、経済的余裕を持った状態で障害者向けの就労支援を受ける状態になりました。
       
       大変結構なことです! お金は大事です。大切にして下さい。
       
      >僕の個人的な意見ですが、人間なんて生まれたときに、自分の大体の人生決めてるんだと思います。
       
       それはなかなか斬新ですな。
       
      >暇な時に、またコメントしたいと思います。
       
       はい、いつでもどうぞ。お待ちしております。
       

  2. サスライの天才長期高齢当事者 より:

    おはようございます。

    大村さんも楽しい日常をお過ごしのようですね。少し腹が立ちますが、それはそれとして。

     コメントの内容についてですが、知識があって損はないというのは、半分は仰る通りでして。何故なら、事前の知識が何もなければ判断などつけようがないからです。その反面無駄な知識があるというのも事実です。また、知識が多すぎると雁字搦めになり、身動きが取れなくなるというという部分もあります。

    それでも、数学と主に歴史ですが社会科系の科目は、学んでおいたほうが良いんじゃないですか?大学に行くのであれば別ですが、僕は他の科目は全スルーしてます。僕の最近の愛読本は、デール・カーネギーの人を動かすですが、大村さんの言うところの先人知恵を探るための読書を加えれば、生きていく上での土台はできてくるのかなと(知識面で)。

     因みに、学歴なんて邪魔というのは僕のポジショントークでして。カルペさんでは、数年の勉強をしてから、大学の専門学部に進学し就業につなげるという方法が中心だと思うのですが、それはそれでありだと思います。

     でも、僕はそういう生き方ができるほど器用じゃないようで。あからさまに非難しているように見えたかもしれませんが、目標に向かって努力している人間は寧ろ僕の同志です。

     最後に、大村さんはナメられても良いということですが、それには賛同できまんね。実のところ、僕は今自分がしている判断をあまり信用していない、でも、ナメられちゃいけないというのは、誰が見ても信頼に値する人間の言葉です。大村さんとその人だったら、僕はその人の言葉を支持します。

     最近時間が腐るほどあるので、休憩がてら、またコメントします。

     

    • 一社会人 より:

      自分で天才と言ったり、一々長ったらしい言い訳だらけのゴタクはいらないですよ。

      ナメられるということに拘るのは自信の無さの裏返しに過ぎません。ナメられて打たれても努力を継続しない限り自信もそれを裏付ける実力も付きません。当たり前過ぎる話ですが、最初からナメられない人間なんて存在しないですよ。

      それなのに何の実績も無く挑戦したことも無い人間が「俺を認めてくれ〜」と幼児のように喚いている姿は見苦しいし滑稽で醜いです。

      ここの代表さんは未来ある人間を救おうと忙しく、しかも実際に実績を多く積んで来ていますが、それでもあなたの存在を認めて丁寧な返答までしてくれています。まずはそれに感謝しなきゃいかんよ。

      間違った方向に膨れ上がった自尊心を捨てて、自己弁護を止めて等身大の自分を自分で認めて素直になること。怖いでしょうが、あなたが今後本当に自分を偽らずに生きるためにまず最初に必要なことです。

      • サスライの天才長期高齢当事者 より:

        一社会人さん、本当にそのとおりですね。僕も、頑張って生きていこうと思います。

      • サスライの天才長期高齢当事者 より:

        それでは返答したいと思います。

        >自分で天才と言ったり、一々長ったらしい言い訳だらけのゴタクはいらないですよ。

        ですね。でも、うまくいく人の特徴の一つに、自己評価が妥当というのがあると思います。

        >ナメられるということに拘るのは自信の無さの裏返しに過ぎません。ナメられて打たれても努力を継続しない限り自信もそれを裏付ける実力も付きません。当たり前過ぎる話ですが、最初からナメられない人間なんて存在しないですよ。

         いえ、別にこだわってはいません。ていうかそんなのどっちだって良くないですか?ナメられちゃいけないという気持ちが大切なんです。でも、最初からナメられない人間なんて存在しないというのは本当にそのとおりですね。

        >何の実績も無く挑戦したことも無い人間が「俺を認めてくれ〜」と幼児のように喚いている姿は見苦しいし滑稽で醜いです。

         左様でございます。全面的に仰る通りです。

        >ここの代表さんは未来ある人間を救おうと忙しく、しかも実際に実績を多く積んで来ていますが、それでもあなたの存在を認めて丁寧な返答までしてくれています。まずはそれに感謝しなきゃいかんよ。

         実績の差は年齢の差だと思います。

        >間違った方向に膨れ上がった自尊心を捨てて、自己弁護を止めて等身大の自分を自分で認めて素直になること。怖いでしょうが、あなたが今後本当に自分を偽らずに生きるためにまず最初に必要なことです。

         間違った方向に自尊心を膨らませていたり、自己弁護を続けていたりする人は、そのとおりなんだと思います。

         全体としてバランスのとれた意見で参考になりました。でも、僕のような重度障害者の暇人にあまり関わらないほうが良いですよ。一社会人ということなのでお忙しいでしょうし。

         いろいろと思うところがあったようですが、別に自分の責任で生きていくんだったらなんだって良くないですか?本当の自分を偽っているのはどっちかよく考えたほうが良いと思います。

         

         

         

      • CARPE・FIDEM より:

        >一社会人さんへ
         
         はじめまして。CARPE・FIDEM代表の大村です。コメントありがとうございます。
         
         サスライさんの発言に色々と思うところがあったかと推察致しますが、それはそれで許してあげて下さい。周囲で見ていると腹の立つこともあるかも知れませんが、少なくとも私は気にしていません。彼も、悪い人間ではないのです。
         
         一社会人さんのご意見は極めて自然なもので、私も全面的に同意見です。一緒にお会いしてお話すれば、恐らくほぼ首肯のみで終わるかも知れません。
         
         ただ、それをサスライさんに言うか言わないかは、また別の話です。彼には彼の考えがあり、成長がある。今はおかしなところがあっても、明日はどこかで変わるかも知れない。私はそれに期待しています。
         
         一社会人さんの私への評価には、深く感謝する次第です。もっとも、
         
        >ここの代表さんは未来ある人間を救おうと忙しく、
         
        なんてことはなくて、実際はかなりいい加減です(笑)。でも、ありがとうございます。
         
         CARPE・FIDEMは、双方向性を大切にしています。私はあなたから学び、あなたは私から学ぶ。そういう環境を目指しています。
         
         腹立つかも知れませんが、サスライさんからも、何かを学び取って下さい。成長の要諦は、ここにあると思います。

    • CARPE・FIDEM より:

      >サスライの天才長期高齢当事者さん
       
      >おはようございます。
       
       はい、おはようございます。遅くなってすみませんな。
       
      >大村さんも楽しい日常をお過ごしのようですね。少し腹が立ちますが、それはそれとして。
       
       人の幸福は、素直に祝福して下され。
       
       まあ、実際は愉しいことばかりではありませんが、大変なことでも、愉しくする術は知っていますよ。幸せな人とは、日々に小さな幸せを見つけられる人です。
       
      >知識があって損はないというのは、半分は仰る通りでして。何故なら、事前の知識が何もなければ判断などつけようがないからです。その反面無駄な知識があるというのも事実です。また、知識が多すぎると雁字搦めになり、身動きが取れなくなるというという部分もあります。
       
       それはあり得ますな。
       
      >それでも、数学と主に歴史ですが社会科系の科目は、学んでおいたほうが良いんじゃないですか?
       
       確かに、政治経済等の社会科系は即効性もありますので、お薦めです。数学は即効性はありませんが、どのみちこれからは必要になります。
       
      >大学に行くのであれば別ですが、僕は他の科目は全スルーしてます。
       
       何でも出来る訳ではありませんから、現実に即した科目選択は大切です。良いことだと思いますよ。
       
      >僕の最近の愛読本は、デール・カーネギーの人を動かすですが、大村さんの言うところの先人知恵を探るための読書を加えれば、生きていく上での土台はできてくるのかなと(知識面で)。
       
       そうですね。読書は本当に重要だと思います。まずは興味の赴くままで構わないので、読んでみるのが良いと思います。
       
      >因みに、学歴なんて邪魔というのは僕のポジショントークでして。カルペさんでは、数年の勉強をしてから、大学の専門学部に進学し就業につなげるという方法が中心だと思うのですが、それはそれでありだと思います。
       
       なるほど。ポジショントークなら、納得です。
       
      >でも、僕はそういう生き方ができるほど器用じゃないようで。あからさまに非難しているように見えたかもしれませんが、目標に向かって努力している人間は寧ろ僕の同志です。
       
       それは大変良いことです。同じ方向性を向いている者同士は、確かに同志です。
       
      >最後に、大村さんはナメられても良いということですが、それには賛同できまんね。実のところ、僕は今自分がしている判断をあまり信用していない、でも、ナメられちゃいけないというのは、誰が見ても信頼に値する人間の言葉です。大村さんとその人だったら、僕はその人の言葉を支持します。
       
       これはまた面白いネタですな。
       
       個人的には、ナメるナメないの観点は、その人の生存領域によると思っています。具体的には、不良やヤンキー、極道界のように、面子如何が日常に影響を与えるような空間なら、確かにナメられたらお仕舞いでしょう。言い方悪いですが、「人間」というよりは「動物」的要素が大切な空間で、これが成立すると思います。
       
       しかし、「面子? そんなものはくれてやれ」的な業界もあって、どちらかというと、頭脳勝負系の領域は、あまり面子にこだわる人はいない気がします。表面的にナメられていても、それが日常生活や仕事に影響を与えない、寧ろ、下手なところで正面衝突して同類と見なされても困る、という事情があるのだと思います。「負けるが勝ち」の世界です。
       
       ただ、この点については、私も後者が全面的に正しいとは思っていません。何のかんの言っても、どんな人間だって動物です。社会システムが吹っ飛んだり、既成の価値観が揺らいでくると、案外簡単にアニマル化することだって考えられます。その観点からすれば、アニマル的素養、つまり「ナメられないこと」の重要性は馬鹿に出来ません。
       
       日常表層的現象においては、「負けるが勝ち」で良いと思いますが、人間性の根底から「負けるが勝ち」発想になってしまうと、多分どこかで痛い目に遭う。
       
       「最悪の事態に備える」という意味では、確かに「ナメられて」はいけませんね。
       
      >最近時間が腐るほどあるので、休憩がてら、またコメントします。
       
       羨ましいなあ・・・・・・。時間貧者にお慈悲を。

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