「今日は父上の機嫌伺いに行ってみるか」
有閑の折、池波正太郎の「剣客商売」を読み進めるうち、何とはなしに登場人物の秋山大治郞と自らを重ね始め、寸時、日本橋は人形町まで足を伸ばし、父(小兵衛)の診察に出向く近隣の健保会館近くにて、鮨をつまみつまみ昼餉を共にした次第に候ふ。
「おお、大よ。久しいのう、息災であったか」
「父上もお変わりないようで」
子らも独立し、後はいつとも知れぬ孫の姿が楽しみなためか、すっかり好好翁然なりし父も、
「まだまだ時流に落伍してはおらぬ」
とばかり、矍鑠とした歩みにて、安堵を誘うこと幸甚の至り。
「昨今、老人は75をその初めとするよう検討されておるようじゃの。お上の年金政策も、楽隠居を容易には許してくれぬらしい」
「近頃のお年寄りは元気にございます」
「はっはっは。違いないわ」
馴染みにて、二人して鮨をほおばりながら、昨今流行りし「えいあい」に続き、「びっとこいん」「ぶろっくちぇーん」へと話が進み候へば、
「ふむ、近い将来、この一分銀が使えぬようなる日が来るやも知れんのう」
等と父の語りし様、まことに往事と変わり無く、後に事の次第を弟妹に伝うべく飛脚に託し候ふ。
鮨屋近くの辻に、南蛮渡来の「かふぃい」なるものを嗜みし折、題は家族の事になり候ふ。
「……父上、母上はお元気でしょうか?」
「おうおう元気も元気。変わらず診療所を切り盛りしてくれておるわい。大助かり大助かり」
「安心致しました。暫くご無沙汰しております故」
「まあ何じゃ、長年連れ添っておれば色々あるが、助け合ってこその家族じゃよ」
「……ときに父上、家庭にあって最上とすべきは何にございましょう?」
「家庭にあって、とな?」
「左様でございます。私も、この先長く家庭を養って行かねばならぬ立場故、事の要諦を拝聴したく存じます」
「ふむ、そうさな……。敢えて言うなら……」
「言うなら?」
「『和』じゃな」
「『和』にござりますか?」
「左様。十七条の憲法にもある、あれじゃ。和を以て貴しと為し、忤ふること無きを宗とせよ」
「諍い無く……でしょうか?」
「いや、そうではない。諍いは、誰彼問わず常時あるもの。諍いを防ぐことは出来ぬ。大切なのは、両者の落とし所じゃよ。戦い、争うていても、最後には両者共に歩み寄り、妥協点を見出す。その姿勢を持つことが、『和』じゃと儂は思う」
「家庭においては、その『和』を最上とするのでございますな?」
「その通り。余程のことが無い限り、家族の縁は切れぬ。離縁したとしても、血の繋がりは残る。切るに切れぬが、家族の縁。それ故、家族同士我が儘を申しても始まらぬ。諍う傍から終を探し、己を省みては相手に至る。『和』の心は深いぞ?」
「拝領致しました。若輩故、至らぬこともございますが、肝に銘じましょう」
「うむ」
「ときに父上、この旨は弟妹にも……」
「そうじゃな。あやつらも、どこかで役立てることもあろう。折りに触れて話そうではないか。丁度良い、弥生の月にでもまた、武蔵国の隠宅に皆で集まるのはどうじゃ?」
「では、私より伝えおきましょう」
「今はもう、田沼様の治世になく、平成の世も末の頃じゃ。南蛮由来の『あいでんてぃてぃ』が言われる事夥しいが、和して同ぜずの少なきこと。大和の頃より音には聞けど、今に『和』を成すことの困難よ」
「……」
「のう、大よ。他家はどうあれ、秋山家の要諦は、『和』にあること、努々忘れるでないぞ」
「心得ましてございます」
久しくなりにし父の言葉と共に、三十路過ぎの「ごっこ遊び」もまた、ここに幕を閉じ候ふ。
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