菊池寛の「恩讐の彼方に」を読んだのは、確か中学生のときだったと思いますが、「父帰る」はまだだったような気がします。戯曲なので、映画で見ても面白いかも知れません。
何故「父帰る」を思い出したかと言えば、東京国際フォーラムで糖尿病学会があったらしく、暇になった父との間で、
F「久しぶりに飯でも行くか? ん?」
E「Yeah. ええのう」
とのやり取りがあったためで、特に深い意味はありません。
お互い、ギリギリまで仕事がある関係上、中間地点で落ち合うことにします。
で、事務所からこっそりスネークしようとすると、
新「Eさん、打ち合わせは?」
講師の新潟君に見つかります。
E「……帰ってから?」
新「酒飲んでから打ち合わせとは、なかなかにええ根性してますね」
E「さ、酒とは無礼だな、親孝行だよ、君。君もたまには孝行したまえ。孝行したいときに親は無しだよ、んんんん?」
新「ものは言いようですね?」
動揺しつつも、新潟君の追求をサラリと回避し、一路神田駅へ。
土壇場で決まったため、行きつけの牡蠣のお店が予約を取れず、やむなく別の居酒屋へ行きます。
F「まずはビールな?」
E「最近は日本酒飲まないんですか?」
F「君、歳だよ、歳。ゆっくりと、だよ」
E「これは失礼。では、後ほど小さな日本酒バーへご招待。二軒目は私めの奢りでウッシウシ」
ここ最近は実家も私もアレコレと忙しかったのですが、互いに落ち着いたせいか、会話にも余裕があります。
お酒は家族の出世祝いから始まり、祖父母の健康状況や今年の墓参りの調整、そして叔父叔母・伯父伯母・従兄弟・従姉妹の近況へ。近々届くというB&Wのスピーカーの話になる頃には、マスターの実家から送られてきたというソラマメの和え物と、ピリリとパンチの効いた純米酒の影響もあって、父もすっかり出来上がっています。
E「買ってしまいましたか……」
F「買ってしまったんだよ、これが。来週届く」
E「しかし、よくおかっつぁんが許しましたね?」
F「馬鹿。母ちゃんに許される云々の問題ではない。男の決断だ。自分の意志で買うんだよ。少しずつお金を貯めて、自分の意志で買うんだよ」
E「男を強調する辺り、泣かせますな。では、次回お伺いした際に、一度拝聴を」
F「他二人にも聞かせてやろう。あれはな、ジャズがいいんだ、ジャズが」
オーディオを趣味にしてる奇人変人親子の夜は、まこと穏やかにふけるのでありました。
それにしても、振り返ってみて改めて実感しますが、何とも平和な日々になったものです。東日本大震災のときなど、当時は大学病院所属故に動くことも出来ず、一度電話が繋がったときも、
「自分はここを動けないから、親は死んだものと思って生きろ。もう、お前に伝えることは全て伝えた。後は自分で何とかしろ。じゃあな」
と、実にあっさり伝えただけの古風な父でしたが、あのときは、こんな平和な日々が来るとは思っていませんでしたね。いやはや何ともかんとも、有り難いことでございます。
F「お前も家庭を持って分かったと思うが、皆何かしらの悲しみを抱えて生きてる。お金を稼ぐのも大変。誰かを支えるのも大変。生きるだけでも大変。大変の中に、また悲しみが生まれる。だが、釈迦の四苦八苦ではないが、生きている以上、悲しみは背負わないといけない。誰かに背負わせてもいかんし、背負い過ぎてもいけない。しかし、全員に悲しみがあることは忘れてはいけない。それが分かれば、一人前だ。慈しみとは、そういう気持ちから生まれると思う」
小椋佳「愛燦々」のような話を最後に、神田駅で別れました。歳を取ると親は小さくなると言いますが、なかなかどうして変わらない。変わらない原因は親にあるのか、私にあるのか、はたまた……。
どうやら、我々は良い親子のようでございますなあ、父上殿。
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