「CARPE・FIDEM(カルぺ・フィデム)とは、具体的に何をしている会社なのか?」
この問いに対する答えを簡潔に言い表すなら、それは、
「私達は、不登校や引きこもり経験者の人々が、社会で必要となる教養、生きていくために必要となる十分な収入、そして揺らぐことの無い尊厳を持って再び社会で活動出来るよう、教育面でサポートしています」
となるでしょう。
世間一般的な認識では、不登校や引きこもりの経験者は、「単なる社会的無能力者」「無責任で、周囲に迷惑ばかりかける厄介者」「何も考えていないお荷物」のように捉えられていますが、現実は少し違います。確かに、不登校、引きこもり当事者の中には、ただ自堕落に任せるだけで、完全に手遅れになるまで具体的行動を何も起こさない人々も大勢いますが、しかしその一方で、家にこもりながらも自分の先行きを憂い、社会の中での立ち位置を模索し、変化し続ける今の時代を冷静に観察しながら、きちんと具体的行動を起こす人々もまた、確かに存在します。
彼らのような「静かな努力家」を、「怠惰な無駄飯食い」と一緒くたにし、十把一絡げにまとめ上げるのは適切ではありません。本当に何もしないまま漫然と生きている人達もいる中、誠実に日々を暮している当事者もまたきちんと存在しており、確かな教育水準と判断能力を確保した彼らは、今や想像以上の力強さで社会へと船出することが可能となっています。そのための具体的サポートをするのが、私達の役目と言えるでしょう。
事実、CARPE・FIDEMの過去の参加者には、大学への進学、国家資格の取得、職業訓練への参加など、具体的行動を通して、スムーズな社会参画を可能とした人々が既に大勢います。高い教養水準を誇り、次世代のエリートとして再出発を果たした人々も今では珍しくありません。
先々の読めない「今」という時代において、不登校や引きこもりのような問題が発生するのは自然なことです。しかし、そこで状況を冷静に分析し、
「自分が社会の中で何が出来るのか?」 「何をしなくてはならないのか?」 「そのためには、今何をすれば良いのか?」
という問いかけを怠らず、時代の「先」を見ている当事者は、不登校であっても、引きこもりであっても、確かな将来性を兼ね備えた存在と言えます。「単なる社会のお荷物」と「先見性のある努力家」。今や、不登校も引きこもりも、大きく二つのカテゴリーに分岐してきていると言えるでしょう。
CARPE・FIDEMを好み、またCARPE・FIDEMが好むのは、「単なる社会のお荷物」のような存在ではありません。これからの時代を誠実に生き抜こうと覚悟を決めた「先見性のある努力家」です。今はまだ力を持たない彼らも、緻密な努力を少しずつ積み重ねることで、やがて十分な社会性と経済力を確保することでしょう。
不登校や引きこもり経験者だからと言って、甘やかすでも蔑むでもなく、普通の学生が普通の社会人へと成長するのと同じように、普通の毎日を提供する。それが、私達の最大の強みです。普通の生活、或いは、普通よりももう少しレベルの高い生活を欲する人々にとって、CARPE・FIDEMは、非常に大きな可能性を提供出来ることでしょう。
志を同じくする人々にとって、ここがより良い場所となるよう、今後も全力を尽くす所存です。
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