元々のきっかけは、非常にシンプルなものでした。
「不登校と引きこもりで学校行ってないけど、進学したいって子が数人います。大村君、行って話を聞いてきてくれませんか?」
当時大学生だった私のところに、知り合いの家庭教師派遣会社の社長さんが、そんな話を持ってきました。今からすると、もう20年近く前の話です。
「引きこもり」と言われて何が何だか分からなかった私は、とりあえずネットで調べてみることにしました。曰く、
『全ての責任を親に負わせ、自分だけ自堕落に生きている怠け者』
『布団に潜り(もぐり)潜み(ひそみ)、近づくものを包丁で刺す危険人物』
『いつ爆発するか分からない、反社会的危険思想家』
正直な話、
「こんな物騒な生徒を紹介するとは、社長さんも中々に人が悪いなあ」
というのが本音でした。お腹に少年ジャンプでも仕込んで行こうかとも考えていましたね、刺された時のために。
ところが、実際に会ってみた生徒さん達は、そんな評価とは似ても似つかないものでした。
『親に頼って生きているのが嫌で嫌でしょうがない。自立して、自分の力で生きていきたい』
『ずっとイジメにあっていて、学校が怖い。でも、このままではダメだと思っている。進学したい』
『小学校半ば位から学校行ってません。でも、医学部行って医師になりたいです』
下馬評とは随分様子が違うぞ、と思ったのは、言うまでもないことでした。結果として、ジャンプも無駄になりました。
そんなこんなで似たような境遇の子達が集まり、何となく勉強をする場所ができあがったのが、CARPE・FIDEMの前段階である、八起進学校の始まりです。
その後、2009年にCARPE・FIDEM(カルペ・フィデム)へ、2015年に法人化し、CARPE・FIDEMLLC(カルペ・フィデム エルエルシー)へと段階的に拡大し、今に至っています。
CARPE・FIDEM設立の経緯は、私の意志や希望とは無関係のものです。一般的には、キャラの濃い代表者が周囲を引っ張って行き「俺が直す! おまえらを正す!」とやるものなのかも知れませんが、私は影の薄い代表者です。何も直しませんし、正しません。第一、正すだけの能力がありません。多少の修正を促すことはありますが、せいぜいその程度です。
「困ってるなら、出来る範囲で協力しましょう。でも、人生は自分で決めるもんだから、人の考えに依存して生きるのはやめましょう。それは新興宗教依存と同じで、非常に恥ずかしく、惨めで卑しい行為です。自分で考える力を持ちましょう」
それぞれの望む「自立」という名の未来像に対して、一歩下がって追いかける姿勢が私の代表としてのスタンスですが、これは今後も変わらないと思います。
正直な話をすれば、私個人としては引きこもりにも不登校にも、あまり関心がありません。標準的な進学ルートから外れ、どのように社会と伍して行ったら良いか悩んでいた参加者各自が、それぞれに考え、行動し、失敗し、そして結果として結実させてきたのが、今のCARPE・FIDEMの姿です。私個人の実績と言えば、恐らく場所の提供位です。
この辺は、私の両親の影響が如実に表れているのかも知れません。昔、私の母が私達兄妹三人に言っていた言葉が、他者への依存を潔しとしない、「個の尊重」です。
「私はあなた達の母親で、あなた達は私とお父さんの子供です。だけど、個々人としては別の人格です。あなた達がどのような生き方をするのかは知らないけれど、私とお父さんは、あなた達を『個人』として尊重します。だから、個人としての自分を良く知り、自信を持って生きなさい」
設立から20年以上になり、参加者も変わりました。最初期のメンバーは、もうとっくに社会人です。社会的義務を果たし、日常に縛られる毎日でしょう。
組織も変わりました。小部屋一つで始めた教室も、今はビル2フロアに宿泊施設を2つ、更には合宿所・保養施設を抱えるに至りました。もしかすると、更に大きくなるかも知れません。(本音を言うと、これ以上はやりたくありませんが。)
私自身も当然のように変わりました。勢いだけで何も考えていなかった大学生も、社会人になり、結婚し、居を構えては、家族の未来を案ずるようになりました。
しかし、それでも尚変わらないものがあります。本当に大切なものは、古くから緩やかに受け継がれて行きます。これからもまた、「個の尊重」を礎に、何気ない日々を大切に生きていこうと思います。
CARPE・FIDEM LLC 代表社員 大村悠輝