急ぐときには、危険な近道より、遠くても安全な本道を通るほうが結局早い。
安全で、着実な方法をとれといういましめ。
乾坤一擲
最近は比較的減った方ですが、以前はよくこんな質問があったものです。応答の全容は以下のようになります。
~引用ここから~
q2:「子供が株をやりたいと言うのですが、やらせても良いでしょうか? 子供には手持ちの資金が無いので、私達(親)が出すことになるのですが。大体10万円位を与えようと思っています」
a2:基本的に「引きこもり」と「株式投資」は相性が良い(家で出来ること。一応、社会との繋がりが持てること。うまくやればお金が手に入ること等。)のですが、最終的には状況が悪化することの方がずっと多いです。現実的には7割方が資金不足で一年以内に止めざる得ないことになりますし、残り2割がトントンで1割がある程度上手くいっている程度です。その1割ですら、一時的な暴落で駄目になっていますから、金銭的な面ではまずお薦め出来ません。
また、失敗の結果として精神的に荒廃する事例がかなり目立ちます。当事者の自己資金で投資をした場合、失敗は行動範囲を狭めることに繋がりますし、親が出資している場合は親子関係の悪化が顕著になります。 引きこもり当事者が株式投資をするときの言い分は結構パターン化していることが多い(引きこもってはいるが、自分も社会との積極的な繋がりが欲しい。企業のあり方を見ることで社会勉強になる。上手くやれば手持ちの資金が増える。自分に任せてくれれば、(親の)お金を増やすことも出来る等)ですが、結果を見る限り好ましい話はほとんど聞きませんので、止めておくのが無難です。
大金持ちなら別ですが、いつかは外に出なくてはならなくなるのですから、家にいて出来ることを模索するよりも、どうしたら外に出て上手くいくかを模索した方が解決には近いです。
~引用ここまで~
ここで見られる発想は、「株で一儲けすれば、自分も少しは認められるだろう」という浅はかなものですが、これが当事者本人の「焦り」から来ていることは言うまでもありません。
焦眉之急
一般に、引きこもり当事者は焦っているものです。
「小学校の同級生の○○君は、××大学に合格したんだって!」
「中学校時代の△△さんは、□□社に内定貰ったとか!」
「高校同期の●●君は、近々結婚するらしいよ!」
「あいつ、子供までできたってさ! 早くもお父さん!」
加齢とともに、どこからともなく聞こえてくる、旧友達の現状。厳しい社会の中で、苦心しながらも前進するかつての知人達。その一方で、家に独りこもり、何も進展の無い日々。これで焦らない方がどうかしてるというものです。
勢い、彼らの行動は年齢に比例して急進的になります。そのため、
10代前後だと比較的現実的対応を取るものの、20代も半ばを過ぎたあたりから風向きが怪しくなり、30も過ぎると、一発逆転しか狙わなくなる人も増えてきます。「株で一発逆転!」なんて話が聞こえだしたら、それはかなり危険な状態と言えるでしょう。
孟母三遷
しかし、それなりにまともな家庭ならば、そんな曖昧な方針に資金提供することはありません。引きこもり当事者へ対する姿勢には、しばしば父母の人生哲学が如実に現れるものですが、これもその一例でしょう。
例えその結果として親子関係が少々険悪になったとしても、まともな親は子供の過ちをきちんと指摘するものです。
「言いたいことは分かるし、焦る気持ちも分かるが、それは無意味だ。やめておきなさい」
と。
そして、例え時間がかかっても、当人が確実に成長し、将来への基盤が確保出来るルートを提案するでしょう。これまでの優れた親御さん達は、特に考えるまでもなく、自分達のまっとうな人生哲学に則って彼らの過ちを指摘し、修正してきたのです。
「人生にウマイ話なんてない。ウマイ話にすがろうとしているなら、それは今のお前が焦っているということだ」
優れた親御さんは、皆この種の「当たり前」を大切にし、それを日々の中で何気なく生かしています。
因果応報
いかなる理由があろうと、行動した人は相応の評価をされますし、行動しない人は一切評価されません。無論、引きこもっていれば、どれほど年齢を重ねようと、社会的な意味での成長はほとんど見込めないでしょう。その現実は誰に対しても平等であって、特別扱いは存在しません。
いかに工夫に工夫を重ねて自分の過去に言い訳をしてみても、そんなものは「意味がない」のです。
一方で、引きこもっていてもそれなりに学んできた人々や、心機一転して行動を開始した人々は、乱高下を繰り返しながらも、じわじわ成長して行きます。じっくりと腰を据えて、これまでの遅れを地道に取り返す。彼らの頭には「言い訳の効かない現実」が既に頑として存在しており、それに突き動かされるようにして、社会へと向かって行きます。
そこには「一発逆転」も「ショートカット」も「楽な方法」も何も無く、有史以来連綿と続く、揺らぐことのない「現実」に正面から挑む好ましい志があるだけです。
「どうせいつかは正面から挑まなくてはならないのなら、極力早い方が良い」
そう考え始めたとき、彼らの「引きこもり」は一つの終焉を迎えます。