よく親御さんから「どれ位の頻度と強さで子供と接して良いのか分からない」という質問を受けます。そこで今回は、その「頻度」と「強さ」で場合分けをしてみることにしましょう。
「過干渉型」
過干渉型の親は、概して引きこもり改善に最も遠く、同時に家庭環境を完全に崩壊させる可能性の最も高い存在です。彼らの過干渉の原因は、主に「子供がこのまま社会に出られなくなったらどうしよう……」のような焦燥感と、その結果から派生する苛立ちにあります。苛立ちの程度によって干渉の度合いは変化しますが、一般に良い結果は生みません。多くが親子間の没交渉を誘発させ、結果的に問題を袋小路へと誘うこととなります。子供からの暴力事件が多いのも、この手の親の特徴です。
過干渉は、大概が「仕事しろ!」のような高圧的態度や、日に何度も「これからどうするつもり?」「少しは将来のことを考えて」のような質問を繰り返す姿勢となって表面化します。しかし、当事者の側から見れば、それは答えようの無い質問であり、繰り返したところでどうにかなるものでもありません。寧ろ、そのような「煩いだけで何の救いにもならない親」を当事者が忌避し、引きこもりに拍車が掛かったり、突発的暴力事件に発展する傾向にあります。
基本的に、問題解決には現実的具体策の策定と、それの実行が必須です。そのため、漠然とした問いかけや、命令調の発言はほとんど意味を持ちません。過干渉そのものが失敗への最短経路であることをよく認識し、親自身が姿勢を改めるところから始めるべきでしょう。
つまり、当座の目標はまず「少し落ち着いて、圧力を減少させ、家庭内でのパニックを無くすこと」です。
「不干渉型」
不干渉型の親は、基本的に「いつかは何とかするでしょ」という楽観的姿勢の持ち主か、或いは単なる無責任かのどちらかです。不干渉型は、過干渉型と比べて家庭内での目立ったトラブルはありませんが、引きこもり当事者が自律的に思考の出来る、相応のインテリジェンスを持った存在でない限り、単なる「社会的無能力者」を生産することに繋がります。
不干渉型の親の子で、特に不登校の経験がある場合、多くは教育水準が著しく低い傾向にあり、酷い事例になると掛け算などの基礎計算や日常生活レベルの文章力にも支障が発生します。放っておいても自発的に学ぶ当事者もいますが、基本的に少数派と見て良いでしょう。また、その基礎能力の欠如が原因で就業の機会を喪失することも多く、漫然とした引きこもり生活に堕し、しかもそのきっかけを構築する能力すら確保出来ないという閉塞状態に陥ることも珍しくありません。不干渉型の親がすべきことは、まず当事者の現状把握と、今後の対応をある程度考慮に入れることです。
不干渉も数年に及ぶと、当事者が嘗ての姿とは似ても似つかない存在になっているにもかかわらず、親がそれに気付かなかったりする事例もありますので、現状把握は特に入念に行うべきでしょう。その上で今後の対応を現実的に話し合い、不足している能力なり経験なりを補完することが先決です。特に、教育の補完は事実上の限界点が存在する(全くの無教育層の場合、25歳前後でも少々厳しく、30代に入ったらほぼアウトです。)ので、早め早めの対応を心掛けるようにしましょう。
「折衷型」
折衷型の親は、上記二者の中間地点に存在し、まともな親ならこの型に該当するのが普通です。時には口喧しく言うこともあるが、基本的に「時々」であり、それ以外は不安は有りながらも、いつも通りにしているものが折衷型と言えるでしょう。
折衷型は安定性のある対応であるため、問題改善に最も近く、また親子間の関係も崩壊しているようなことも多くはないので、話は比較的進めやすいようです。実際、現実的対応を行える当事者の家庭環境は、多くがこの型であり、過干渉型や不干渉型の親は、取りあえずここに持ち込むのを目標にすると良いようです。
折衷型の良いところは、意思の疎通がしやすいのと同時に、親子共々現実的姿勢を持てる可能性が最も高い、言い変えれば「感情的しこり」が少ない点にあります。多少の感情論は問題ありませんが、手遅れになった当事者の多くが感情論から逃れられない状況下にあることを鑑みれば、これは大きなアドバンテージと言えるでしょう。「現実的」であるが故、「現実への回帰」も早いのかも知れません。
緩急自在が当座の目標
まとめると、「言い過ぎはダメ。でも、言わな過ぎも問題」ということです。当事者の側で行動を起こしそうな場合にはじっと黙り、逆に行動の無いときにはさり気無く発破をかける。それ位が丁度良いのかも知れません。
追記:親の優劣について
不登校や引きこもりは、基本的にどこの家庭でも発生します。しかし、解決するかどうかは、その家庭の優劣によります。
その違いがどこにあるのか問い合わせる声が複数ありましたので、ここに追記しておきましょう。こう言うと反発もあるかと思いますが、分かりやすくするために、優劣をはっきりと分けておきましょう。
1:優れた親は子の自立を絶対のものとして語り、劣った親は子の自立をいい加減に扱う
優れた家庭は、「不登校や引きこもりであっても、必ず自立すること」を常日頃から言い聞かせており、どんなに子供から反発されようとも、自立のための具体策を練るよう伝えています。いかなる事情があっても、子供が自分でお金を稼ぎ、社会の中で生きて行くことを前提とし、社会の中で生きるための実力養成にも手抜かりがありません。そのため、例え不登校や引きこもり経験者であっても、保持している能力は一様に高いものがあります。
逆に、劣った家庭は、漫然と不登校や引きこもりを許し、自立を語らず、かと言って子供が無能力でも何ら関心を払いません。無能力な子供は無能力故に社会に出ることが出来なくなりますが、その時には親も老いているため、完全に手遅れとなります。
2:優れた親は有無を言わさず理性的に説得し、劣った親は時代遅れの意味不明な論理で感情的に説得する
以下は、ここのとある参加者が、成人を境に父親から言い渡されたフレーズの概要です。(細部は異なるかと思いますが、大筋そのままです。)
「今、うちには○○万円の金がある。私と妻が老後に必要な資金は××万円だ。つまり、20歳のお前のために使える金は、差し引き△△万円しかない。
定年退職したらここを引き払い、私達は引っ越すが、お前を連れては行かない。その頃にはお前も30過ぎだろうが、30代になってもロクに自立出来ないゴミを、いつまでも養おうなどという気はさらさらない。私は、テレビで出て来るようなニートを絶対に認めない。死にたくなければ、この範囲で何とかしろ。ついでに言っておくと、成人しながら何の策も練らないお前にまだ金が出るのは、親の温情だということを忘れるな。これに文句があるなら、お前の大好きなパソコンを持ってとっとと消えろ。薄汚い寄生虫は、この家には必要無い」
聞くところによると、親御さんは1年程度は何も言わずに黙って待っていたそうです。しかし、子供が全く行動を起こそうとしないので、20歳の誕生日を境に行動に出た。それまではネットとゲーム漬けの彼でしたが、以上のようなことを抑揚無く淡々と真正面から告げられた後、取りあえず自室のパソコンを廃棄して、勉強するためにここへやって来たそうです。
ただ、この厳しい言葉を受け入れたのは、当事者本人にも将来に対する危機意識があったからでしょう。(同じことを言われて、「俺を産んだ親が悪い!」のように発言する当事者も見たことがありますが、ここまで来ると子供の劣位と成長の遅さが際立ちます。)
劣った親の例もありますが、あまり意味が無い内容ですので、割愛します。哲学の無い親が、自己防衛のための感情論を小出しにぶちまけているだけ、と考えて貰えれば大丈夫でしょう。
3:優れた親はタイムリミットを認識し、劣った親はタイムリミットを拒絶する
随分前の話ですが、とある席にて、「引きこもりのタイムリミット」について話をしたことがあります。すると、その席の中から、「タイムリミットなんて話はしないで欲しい!」という感情的な意見が出て来ました。事情を聞いてみたところ、「子供の引きこもりが長期化し、どうしようもなくなっているから、そんな話は聞きたくない」とのこと。
確かに、これは気の毒な話です。ただでさえ長期化して策が無いところに、タイムリミットなど考えたくもないでしょう。親の立場としては、もっともなことだと思います。しかし、これは自業自得としか言えない要素が多いのも事実です。
優れた家庭は、兎に角「線引き」を確実にしています。「25歳までは家にいても良い。しかし、それ以降は絶対に認めない」「○○万円だけ用意する。その範囲で、自立出来るだけの力をつけろ。後は一切関与しない」などがその好例でしょうか。そして、タイムリミットが来たら、実際に子供を家から叩き出しています。
一方、劣った家庭は「線引き」をしないので、子供はいつまでもダラダラと家に寄生し、何ら向上の無いまま年輪だけを重ねることになります。
偽り無く言えば、引きこもりの長期化した家庭とは、その「線」を引けず、けじめのつけられなかった、だらしない家庭のことです。手遅れとは、最初から最後までタイムリミットという名の「枷」を親が拒絶し、生ぬるい状況にい続けようとした甘い見通しの結果論と言えます。その現実からすれば、「タイムリミットなんて話は聞きたくない!」という感情論は、実は子供の引きこもりが始まったときからずっと続いていた、親の側の逃避行動なのではないでしょうか。
4:優れた親は直言で自らを率直に出し、劣った親は都合の良い言葉で自らを誤魔化す
これについては既に参照先がありますので、そちらを確認して下さい。
参照:「信じてる」 その一言で 家崩壊 ~親の誠意の陰に潜む欺瞞~
以上が、親の優劣として表面化しやすい部分でしょうか。他にも、「社会の変化に敏感である」「教育の重要性を深く認識している」などもありますが、今回の話題だと、相対的に見て後尾の方に当たりますので省略します。
概観した上ではっきり言えるのは、「やるべきことをやるべきときに行っていた家庭では、子供が不登校や引きこもりになったとしても、それなりのところで修正が効いている」という事実です。
逆に言えば、長期化事例は、やるべきことを何もしていないことが多く、かと言って、親も子供も自身への甘さから抜けられないため、状況が悪化すると更に逃げ出したがるという悪循環に陥っています。
当然のことですが、真正面から問題に取り組むのは辛いことですし、大変な苦労が伴います。しかし、早いうちからそこへ挑んだ家庭と、何年間も逃避し続けてきた家庭とで優劣が発生するのは自然なことです。
厳しいところに挑んだ方に称賛の声が上がり、怠惰を繰り返し、現実から目を背けた者には相応の現実が待ち受ける。「当たり前」を普通に理解出来る親御さんが増えることに期待しましょう。