不登校・引きこもりからの大学進学塾

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不登校問題によくある「学校に行かなくて良い」は本当か?

 

 コロナの影響はあるにしても、また最近の不登校新聞の「学校なんて行かなくて良い」ブームは酷いなあ・・・・・・。まあ、数年前は芸能人もこの流れに乗って、メセナ活動よろしく、せっせと「学校なんて行かなくて良い!」とかやってましたので、今年の方が多少マシですが、流石に危険性に気づいたのでしょうかね? 今年は大人しい様子。

 自信持って言えますが、この「学校なんていかなくて良い」ブームのツケ、確実に10~20年後に回ってきますよ。現場見れば分かりますが、現在の不登校って、特に理由のないマイルド不登校が主流で、いじめ云々の話は案外多くない。で、マイルド不登校群が何してるかって言うと、大体がゲームなんですよ。スマホいじってるか、パソコンに向かってるかどちらか。別に、何か理由があって学校行かないのではない。「面倒くさいだけ」という群が実は一番多い。このような状況に、「学校なんていかなくて良い」が重なればどうなるか、誰の目にも明白じゃないですか。

 別に不登校でも良いのですが、それは「出口戦略がきちんとしていれば」の話。実際、出口戦略が手堅い子は、不登校後の進路先も高く、不登校という戦略が功を奏している場合も珍しくありません。医学部行くのもいれば、東大だ早慶だで、そりゃ卒後の状況も良いですし、生活水準も高いでしょうよ。

 ただ、そんなのは不登校でも上澄みの上位群だけ。「何となく学校ダルイから行かなくて良いか」の中~下位群は、学校で提供される最低限の教育する享受しないただの「無能」に成り下がるわけですから、社会参画時の状況は地獄でしかありません。

 当然の話ですが、社会からの能力要請ってものはきちんと存在していて、一定以下の能力値の人間は要らないのが実情。だからこそ、近代以降の先進各国は公教育に力を入れているのですし、個々人が少しでも有能になれば、全体の幸福にも直結するのですから、こんなに良いこともない。

 一方、日本も福祉国家を自称する以上、能力養成に積極的でない無能群に「なら死ねば」とは言えず、仕方なく税金から福祉の費用を捻出せざる得ないわけですが、この総額は無能群の増加に比例するするため、無能群の増加は、懸命に社会を支えている現役世代にとって厄介事でしかない。

 にも関わらず、無責任に無能群を増やす「学校行かなくて良い」運動を続けているのですから、いつか圧迫を受けた現役世代からの怒りが爆発するのは必至なわけで、崖に向かってひた走るチキンレース以外の何ものでもありません。これは、不登校・引きこもり業界に昔から蔓延る「弱者は常に善であり、優しい声かけは全て正しい」という、頭お花畑の垂れ流し福祉発想が生み出した宿痾のようなものでしょう。

 もっとも、運営側の不登校新聞は、フリースクールの下部組織のようなものですから、不登校の増加は、フリースクールの経営にプラスに機能するわけで、せっせと学校を否定し、我田引水をかますのは、経営戦略的には悪くないです。「学校と違って、ボクは君たちのことを考えてるよ?」のような面をしておけば、体面上もGOODですしね。

 が、その結果が出るのは、不登校を推奨され、口車に乗せられた後、社会復帰するとき。散々この局面を見させられてきた身としては、出来もしない案件を無思慮に取ってくる営業にキレる技術部門そのもの。入口ばかり語ってないで、出口を語って欲しいものですな。

 口汚く色々書きましたが、まあ私もそれ位、無責任な扇動に怒ってるというわけです。子供の不登校・引きこもりがギリギリラインにいる親御さんや、実際に不登校・引きこもり寸前の子達は、上記程度のことは知っておいて下さいな。ハーメルンではないのですから、金の絡んだ甘言に乗せられて、川に飛び込むネズミにはなりたくないでしょう? 

 現実を良く見て下さい。楽あれば苦あり、苦あれば楽あり。

アフターコロナの引きこもり支援とトリアージ

「コロナで引きこもりが増えて大変」

のような話を聞きますが、正直コロナ由来の引きこもりは大した問題ではないと思います。

 アフターコロナの引きこもり「コロナ由来群」は、元々仕事をしていた人々で、失業問題がその主な原因なのですから、経済が上向けば必然的に消滅するでしょう。或いは、業種の転換によっても解決する可能性が高いです。そもそもが経済問題なので、経済的に解決するのが現実的。

 また、支援に関する資金投入額に対して、リターンも大きく効果も出やすいので、今後の引きこもり支援計画を立てるなら、まずこの群を最優先にすべきでしょうね。死別や精神疾患もあるとは思いますが、小さいところまで原因を深堀りすればキリないですから、大枠から攻めるのが先決かと。

 尚、既存の引きこもり支援は、支援者や家族会の無策もあって、経済問題についてはほぼ触れておらず、福祉全振りみたいな状況なので、この「コロナ由来群」に対する効果はほぼ無いと見ています。コロナを見越せとは言いませんが、こうも早々に先見性の無さが見えてくると、引きこもりメディアの癒着っぷりも弊害の方が目に見えて大きいですね……。まあ、元来長期高齢引きこもりとその家族への利益誘導が目的なので、仕方ないと思いますが。

 個人的には、多額の費用を投入しても、何の変化も無いまま最終的に生活保護に至るだけの長期高齢引きこもりではなく、少額の費用でも十分な成果が見込め、自立意識も高いコロナ由来の引きこもり群を積極的に支援すべきだと考えます。確か、引きこもりへの支援予算が500億程あったはずですから、コロナ由来群への全振り投入をお薦めしたいですね。

 もっとも、そんなことしようとすれば、家族会その他の既得権益層がキレるでしょうから、実現はほぼ不可能。何もしないお荷物に、真面目に生きる人達が苦しむ様を見るのは、流石に何とかしたいものです。

引きこもり報道は何故歪むのか?

 偏向報道、という言葉があるけれど、引きこもりジャーナリズムも結構、と言うか、酷く偏向している。

 偏向と言うと、昨今話題の暴力的な「引き出し屋」とかが浮かぶかも知れない。が、そんなのは大した話ではない。第一、過剰な身体拘束を伴うような暴行は即刻問題になるし、すぐ周囲に知れ渡る。問題ではあるけど所詮小ネタで、最終的には、訴訟だ何だで沈静化する。見た目が派手なだけの小悪。

 自分の言いたい偏向とは、長期高齢引きこもりの側に立ち、彼等の主張を一方的に垂れ流す、「御用ジャーナリスト達」

 引きこもり御用ジャーナリストの大体は、親の会や当事者会に関与して、その関係者から情報を受け取り、引きこもりの親や当事者にとって都合の良い情報を社会に伝播させる。引きこもり業界は、その当事者が文字通り引きこもっていて、実態を知るための情報収集が難しいことから、この種の団体にジャーナリストがアクセスかけるのは別におかしな話ではない。寧ろ、普通の判断。

 この「当事者目線」の情報展開は、一見すると可哀想な8050の社会的弱者を救済する「正義の味方」にも映るし、本人達もそれを自認している節がある。しかし、これはそんな甘っちょろい話ではない。個人的には、この引きこもり御用ジャーナリズムこそ、現在の引きこもり業界の大悪だと思ってる。

 何より大きな問題が、「嘘」。

 御用ジャーナリストは、家族会や当事者会から、ジャーナリストが最も欲するもの、即ち「情報」を受け取っている。さっきも書いた通り、引きこもりの情報収集は実態把握が難しいので、必然的にそうなる。で、引きこもり家族会なり当事者会なり、関連する大局的データベースに接近し、そこから生活の糧となる記事を書く。

 ただ、ジャーナリストにとって情報源は命にも等しいもので、その喪失は致命的。親の会や当事者会にそっぽを向かれたら、そもそも仕事にならないから、勢い家族会や当事者会に不都合なことは書かなくなる。逆に、内部に深く入れば入るほど仕事にも都合が良くなるので、その親密性向上に躍起になる。ただこれだけで、引きこもり御用ジャーナリストの一丁上がり、となる。

 一丁上がった御用ジャーナリストは、引きこもりとその親に金(無論、税金から成る、国や自治体からの補助金)が回るように、引きこもり像をでっち上げる。

 引きこもりを擁護するジャーナリストの記事を片っ端から読んでみると分かるけど、引きこもり業界(主に長期高齢引きこもり家庭)に不都合な話はまず出てこない。ほぼ確実に、

1:引きこもりは可哀そうな社会的弱者
2:引きこもりは心優しい
3:社会は引きこもりに寄り添うべき
4:そのための費用を、国や自治体は率先して出すべき
5:引きこもりに仕事をさせようとしてはならない
6:引きこもりの反社会的行為はほぼない or 一般人より極めて低い
7:引きこもりの失敗は大目に見るべき
8:引きこもりの暴発は、周囲が追い詰めたから
9:引きこもりの家庭内暴力は極めて少ない。
10:引きこもりは、社会に対しては暴力を振るわない。

などの姿勢を基盤として、記事は構築されている。引きこもりを否定的に描くことは、十中八九ないと言ってよい。

 しかし、実際に家族に引きこもりを持つ親兄弟の意見を聞けば、こんな話はすぐに嘘だと分かる。大半の引きこもりは、別段特別どうしようもない弱者ではない。弱点解消の努力をサボった者や、何となく親に甘えていたら社会復帰の機会を無くしただけの者がその大半で、ジャーナリストが語る「像」とは異なっている。

 引きこもりジャーナリズムが「嘘」を続けるのは自然なことだ。そもそもの目的が、「長期高齢引きこもりとその家族への利益誘導」で、無理なく税金投入を引き出すための世論コントロールが彼らの最大の狙いなのだから。

 かくして、「自立したくない長期高齢引きこもり」「引きこもりの子に税金投入を求める親」「左記二者からの要望に従って動く引きこもりジャーナリスト」の三者による鉄のトライアングルが生まれる。

 尚、間接手段ながら、「何故引きこもりを否定しないのか?」という問うたところ、このような回答があった。

「引きこもりは既に散々叩かれてきているから、これ以上叩くのは避けたい」

 上手いと思いましたね。賢い判断。「有象無象の存在から叩かれている以上、守ることこそ先決である」という姿勢。まさに、「正義の味方」に相応しい。

 が、これを理由として実情を偽り、虚像を伝播させ、その負担を社会全体に押し付ける姿勢はいかがなものか? 表層的な弱者救済の背後には、「自立する気など更々ない引きこもり」が大勢いる実態を忘れてはならない。

 引きこもりジャーナリストは、実態が真逆であることを分かっていて、あえて嘘でも何でも構わないから、「支持を得やすい引きこもり像」を作り出し、税金投入を画策している。無論、人権屋が絡むのも必然。

 15年前でも結構おかしかったけど、今はもうどうにもならない。この業界は自浄作用が全くなく、上記のような「金を引き出すのに都合の良い引きこもりのあるべき像」みたいなドグマが先行し、現実の状況からどんどん遠ざかっている。引きこもり御用ジャーナリストの描く引きこもり像と、実際の引きこもり像は全く別物で、実際に見た人程、その差異に違和感を感じるはず。

 この歪みは、最終的に全て税金で補填することになる。 御用ジャーナリストが作話で税金を引き出し、自立拒否の引きこもりにエサを与え続け、それを一般国民が負担し続ける未来しかない。

 自分はもうこの点については半分諦めているが、いつか実態が暴露され、国全体で火がついたときのために、内情を知る者として、今のうちから「戦犯」を名指ししておこうと思う。

ワイン雑感5

 お酒好きな人なら、誰しも「思い出のワイン」ってあると思うのですが、自分の場合、それは「ドメーヌ・ビヨー・シモン」の「シャブリ」。

 別段、取り立てて高級なものでも何でもないものの、生まれて初めて、自分の稼いだお金で買ったワインで、右も左も分からない状態から、店員さん(確か、西武だったかな?)に言われるがまま、生ハム・チーズと一緒にお買い上げ。

 が、20になるかならないかの青年が飲むには早かったのか、ボトルを空けるのに、随分難渋した記憶があります。兎に角「ピリッ!」と引っぱたくような、強烈な辛さが印象に残っていましたね。

 それからしばらくして、親族の付き合いで、小洒落た小さなホテルに泊まったときのこと。料理の質も良く、ワインへの期待も高まってきたところ、偶々リストにシャブリが。記憶が定かではありませんが、確かプルミエ・クリュだった気がします。

 ただ、どうにもこのワインが面白くなく、シャブリにしては腑抜けていて、料理の質とのバランスが微妙。他の親族も等しく、

「うん……まあ、普通だね」

と煮え切らない様子で、早々に赤ワインへシフト。料理にこだわるレストランにしては、若干気になるセレクションでした。

 そのときのモヤモヤが続き、その後しばらくしてから、ビヨー・シモンを購入して、飲みなおしてみることに。自分としては、かつての引っぱたくような辛さを期待してのことで、一段階上のプルミエ・クリュ ヴォーロランをチョイス。

 が……何故かこっちも「普通」。厳密には、先のワインより白ぶどうの香りも立ち、すっきりとした爽快感を感じる好ましいワインだったものの、かつて感じたような強烈なパンチ力はなく、良くも悪しくも「お行儀の良さ」が表面に出ていて、どうにも肩透かしを食らった気分。良いワインではあるものの、求めていたものと何か違う。

 まあ、単純な刺激を求めてシャブリを飲んでいる訳ではないので、これはこれで良いのですが、若い頃のあの打撃が口に残っている身としては、やや残念な気持ちになりました。

 若く飲み慣れていない自分が感じた、ただの思い込みなのか、或いは、ビヨー・シモンの姿勢が変わったのか、はたまた、偶々外れ年に当たっただけなのか、事情は今も分からず仕舞いなのですが、もう一度、あの「ピリッ!」と引っぱたくような、強烈な辛さを経験してみたいものです。該当するシャブリをご存じの方は、是非ご一報頂けると。

追記

 件のヴォーロランですが、あろうことか、抜栓した後飲み切ったと勘違いして、室内に放置していました。低温とは言え、その期間約二週間。「流石にダメだろう」と考えたものの、飲まないのも生産者への失礼を重ねることになると思い、恐る恐る飲んでみると……これがまた「普通」。抜栓したときと変わらぬ品質で香りも立ち、爽快感も残っています。冷やして飲んでいたら、もっと良かったかも知れません。

 奇天烈な環境に置かれても、依然として容姿を維持し続けるタフネスさに、改めて別方向から引っぱたかれたような気分になりました。

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