不登校生に対する個別指導の実情を解説します。
「うちの子は、不登校後は長らく個別指導を受けて大学に入ったのですが、
それから大学に行かなくなり、昨年中退してまた引きこもりました。
よく考えたら、大学に個別指導はありませんよね・・・・・・」
大学中退の相談事例
不登校業界にいると、「不登校の子が塾に行くなら、不登校を良く理解した先生による個別指導形式が良い」というもっともらしい言説を度々目にします。
個別指導が普及した経緯と現状
今でも基本的な状況は変わっていませんが、塾や予備校での指導と言えば、数の大小はあれど大教室での集団授業が一般的です。学校の指導形式を援用しているのは明白ですが、現場感覚で言えば「色々と模索はしているけど、他に上手い形式が見当たらないから」というのが正直なところでしょう。
とは言え、現在に至るまで個別指導が全く無かったわけではありません。講師が家庭を訪問して学習を指導する家庭教師はその代表例で、学生側の移動負担も少なく、質疑応答が即座に行える点から見ても家庭教師は理想的な個別指導の最たるものです。基本単価が割高になり、享受出来る家庭が少数で目立たなかったという事情からその普及率は決して高くはありませんでしたが、学校外教育の一つとして細く長く今でも存在し続けています。
一方、費用面のネックもあり、大多数の家庭において学校外教育は集団指導が一般的でした。高額な家庭教師をつけることの出来ない大多数の家庭では、マスプロ式集団指導の塾や予備校での学習を所与のものとして、中学・高校・大学の各種受験に備えていました。「家庭教師等による個別指導」=「お金持ちのためのもの」というイメージは、恐らく現在の30代以上では標準的な認識だと思います。
その後、主に団塊ジュニア世代が経由したマスプロ式詰め込み教育への批判から、学習環境は段階的に小規模化が進みました。最近になって学校の定員上限値が引き下げられたのは、個々人へのきめ細やかな指導と教員の負担削減を期待してのことでしたが、市場原理の機能する塾・予備校業界では、一足先に同様の流れが発生していました。高学歴化に加え、少子化と高齢世帯からの生前贈与等が複合的に絡み生徒一人当たりの教育単価が上昇基調に乗ったことから、多少のコスト高を甘受する環境が生み出されました。駅前の目につく塾・予備校で、家庭教師形式により近い「個別指導」の文言が踊るようになったのも上記のような経緯があります。
集団指導と個別指導の根本的な違い
以上のように、現在の学校外教育では、集団指導と個別指導が混在する状況になっていますが、両者は狙いとするターゲット層が根本的に異なります。
実際に両方を受講すれば分かる話ですが、集団授業における情報は「講師→生徒」向きの一方通行で、逆向き要素が入るのはせいぜい短い休憩時間での質問タイム程度しかありません。従って、不明箇所が発生したら自力で対処しなくてはならず、参考書で追加学習するなり周囲の友人に聞くなりネットで検索するなり、何らかの主体的行動が求められるのが前提で、ぼーっとしていても問題解決に繋がる可能性はほぼありません。低コストというメリットと引き換えに、学習上の非効率というデメリットが発生し、そして何より積極性と主体性が求められる形式で途中で脱落すればサポートは無く、そのまま放置されるのが一般的です。よって、元々学習に得意意識がある、或いは自主的な学習が苦にならない学生がメインターゲットです。
一方、個別指導は、情報が「講師↔生徒」の双方向に行き来する交互通行であるため、問題の解消は適宜可能で、自ら主体的に何かを行う必要はありません。「先生、○○が分かりません」とその場で言えば、ほぼ全ての問題が解決します。参考書も要りませんし、友人に尋ねる必要も無くネットを使うタイミングも乏しいでしょう。高コストというデメリットはあるものの、学習効率の向上というメリットが発生し、同時に積極性も主体性も不要な形式です。仮に理解が及んでいなくとも、都度サポートが受けられ放置されることはありません。よって、学習に苦手意識があったり、そもそも学習が嫌いな学生がメインターゲットとなります。
個別指導は集団指導に比べて圧倒的に効率的で、学生側での手間が要りません。主体性・積極性0の無気力な子でも、最低限の学習を進めることが出来ます。
何故、不登校に対して個別指導が有効なのか?
以上のような事情もあり、個別指導は平均的な学校教育から落伍した群に特に有効性が認められています。「学習速度に思考が追いつかない」「情報処理の優先順位が立てられない」「とにかくやる気が無い」など、何らかの学習トラブルを抱える学生に対し、講師側が逐次補完指導を行うことで理解度を高めることが出来ます。あまり良い例ではないものの、裏口入学等不穏当な形式で入学した私立大学医学部生に対し、教授陣が高額の費用で個別指導するケースがありますが、これはその具体例と言えるでしょう。(総数は多くありませんが、逆に先天的に高いIQを保持し学校教育に退屈する飛び級前提の学生にも、少人数教育は有効です。)
先にも述べたように、個別指導のメリットは講師によるきめ細やかな指導と配慮にあります。不登校は必ずしも学業不振を伴うわけではありませんが、学校環境で何らかのトラブルを抱えた不登校経験者にとって、低リスクで学習に向き合える環境は望ましいものであり、その意味では個別指導の意義は馬鹿に出来ません。不登校当事者にとって、個別指導は確かに有効な選択肢です。
実際、CARPE・FIDEMも開業当時から以下のような講座を用意しており、毎年多くの受講希望者が集まります。この点だけ見ても、個別指導の有効性とそのニーズは決して否定出来るものではなく、不登校当事者への教育環境において、個別指導は必要不可欠なものとなっています。
参照:少人数個別制講座
何故、不登校にとって個別指導は危険なのか?
その一方で、私は兼ねてより不登校当事者における個別指導の危険性を発信し続けています。
個別指導は、不明箇所を随時解消し理解を促し学習を効率化する上では何ら問題無いのですが、集団指導と異なり、講師が適宜配慮する「上げ膳据え膳」形式ですから、学生側が積極的・主体的に行動をおこす必要がありません。集団指導なら授業が理解出来なければ近場にいる優秀な子に質問し、そこから交友関係を広げることも出来ますが、個別指導ではそれが見込めません。
ここ数年は特に、
「不登校の子供が個別指導塾に在籍しているが、塾にいる間は担当の先生以外とは誰とも会話しない。このままで良いのか悩んでいる」
「学校に行っていないので、せめて塾では友人を作って欲しいのだけど、他の子達との交流が無く、交友範囲が広がらなくて困っている」
という話が、CARPE・FIDEMの相談窓口にも定期的にやって来ます。
このような相談から見ても、学校環境の存在しない不登校当事者にとり、コミュニケーション面での発育と個別指導との相性は、決して良いとは言えません。学習面での進捗に特化しているが故に、学校のような集団指導環境と併用しないと、社会性や交友関係の広がりに支障を来します。特に、大学進学後は友人関係が単位取得上の重要な要点となるため、社会性と交友関係の乏しさは大学での留年確率にダイレクトに直結します。
同時に、その「上げ膳据え膳」がいつまでも続く訳ではありません。小学校~高校程度ならそのような選択肢も比較的豊富ですが、大学入学後も個別指導が期待出来るわけではありません。個別指導という特殊空間は、あくまで期間限定的なものに過ぎず、当然のことながら、社会人後の個別指導など特殊な事情を除いてあり得ない話です。短期的な躓きに対し、パッチを当てて解消するには素晴らしい形式ですが、それに依存するようになるとその後の教育環境に耐えられなくなります。
「中学から不登校で不登校向け個別指導塾に入りましたが、大学からまた行けなくなりました。授業についていけてないようです」
「不登校支援の個別指導を受けて大学に入学しましたが、授業で一度躓くと、そこから立ち上がれなくなり、退学しました」
「個別指導で上手く行っていたので勉強が得意だと思っていたのですが、大学での集団授業で周囲の子達を見ていると、自分の場合はただサポートが手厚かっただけだったのだと気付かされました」
「大学での勉強って、友人付き合い無いとマジで詰むんですね。受験まで個別ばかりで、友人の作り方分からなくなってて・・・・・・」
これらの声は、個別指導という「理想的」な環境が故に、主体性・積極性の要素が停滞した結果友人関係の再構築に失敗し、身近な環境にサポーターがいないと何も出来なくなってしまった哀れな不登校当事者の末路と言えるでしょう。
個別指導依存で陥る結末
不登校における個別指導で最も恐ろしいのが、大学中退です。例えば、高校から不登校で個別指導を受けて大学に入ったとしましょう。個別指導は割高なため、家計における受験関連費用はこの段階で大筋0となります。その後も、大学の入学金や授業料等が重なるため教育にかける費用は当然目減りします。
無事大学を卒業し、就職して自立すれば何も問題は無いのですが、大学中退となると状況は暗転します。教育にかけられる予算は既に払底しているため、大学進学での挽回は不可能となっており、さりとて就職の道は大幅に狭くなります。不登校・引きこもりからの社会復帰において、大学進学は非常に有効な手段なのですが、中退してしまうと虎の子も失われているため次の打つ手がありません。起業や飛び級他、余程の事情が無い限り不登校からの社会復帰において大学中退は一番やってはならないことです。
当事者サイドの話を聞く限り、個別指導の問題点は、積極性・主体性の低下とそれに伴う対人関係構築能力の喪失にあります。学習面での効率は上昇し進学は出来るものの、「担当講師以外とはほぼ会話しない」という閉鎖的空間が故にそれ以外の能力値が低下し、結果的に大学で必要となる能力が不足して、退学に追い込まれています。これでは、何のための進学か分かりません。
日本は自他共に認める先進国であり福祉国家ですので、弱い立場への救済意志は、遍く浸透しています。ただ、それも無条件・無制限で全員に提供出来るサービスではなく、最終的には個々人の一定以上の強靱さが必要となります。10代なら社会復帰の一手段として上げ膳据え膳も有効ですが、20代30代にもなって同じことを要求するような人間は、今後どの時代であっても必要とされないでしょう。
これは不登校でも引きこもりでも同様です。何らかの事情で躓きそのときは脆弱だったとしても、成長して強く逞しくなり、周囲を支えるようになって初めて一定の評価たりえると私は考えています。よって、脆弱を強靱に転換出来ない指導は無価値であり、個別指導への依存はこの無価値の最たるものです。個別指導が悪いわけではありませんが、そこへの過剰な依存は、当人の能力を押し下げ、家計の体力も奪い、最終的には惨めな引きこもりの再生産に繋がっています。
個別指導は「入口」だけにしておくこと
以上のように、個別指導は学習面での有効性は高いものの、主体的・積極的な調査作業や対人関係の構築、不利な環境での試行錯誤といった、社会一般で必要となる基礎能力値を奪うため、部分的利用や最初期での導入・活用は問題無い一方、依存が進むと、10年以内に何らかのトラブルを併発する可能性が高くなります。利用する場合には、極力学校環境と同様の集団授業をメインとし、あくまでサブでの補完目的を目安とすると間違いがありません。
上記のような事情を回避する目的もあり、CARPE・FIDEMにおいては、最初期は個別対応の比重を多めにして、段階的に集団授業の比率を増やしながら「学習効率」と「人付き合い・社会性」の涵養バランスに注意を払っています。集団授業は個別指導よりも割安でコスト面での負担も減るため、不登校当事者と家計の両面においてメリットがあります。経験則的には、最低でも集団:個別=1:1にまで持ち込めれば、大学進学後の懸念は大筋解消されます。集団指導を利用して友人関係を、個別指導を利用して学習効率を確保するのが、現段階での不登校教育ではベストです。
参照:大学受験理系基礎講座
参照:大学受験理系応用講座
不登校からの復帰で必要なのは、学力だけではありません。寧ろ、不登校経験者であるが故に、力点を置くべきは学力以外の要素かも知れません。不登校から大学進学を検討する際には、この点を必ず念頭に入れるようにしましょう。
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