CARPE・FIDEM LLCでは、現在2023年度講座の中途受付を行っております。授業形態は、基本的に2022年度と同様、リモート授業と対面授業をご希望に応じてお選び頂けます。具体的な授業の詳細は、以下をご確認下さい。
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平素は格別のご高配を賜り、まことにありがとうございます。
改めて、2020年度冬期休業期間について、以下お知らせ致します。
尚、自習室は休業期間を通じ、全て通常通り開室しております。また、大学受験理系基礎・大学受験理系応用は、通常通り授業を実施します。
ご不便をおかけいたしますが、何卒ご了承いただきますようお願い申し上げます。
1200ccの大型バイクに跨がり、泊まりがけで近隣をツーリングしていたときのこと。
コンビニで休憩していると、不思議な位に、様々な人々から話しかけられる。或いは10代の若者、或いは30代の同世代、60代の父親世代に、どう見ても90前後の爺さんまで。
「これ、デカいっすね。リッターっすか?」
「結婚してる? 子供は? 自分は、家族と仕事から逃げるために乗ってる(笑)」
「ナナハン乗ってたけど、少し前に車庫から出したらフラついちまって、奥さんに『止めろ!』ってさ・・・・・・」
「わしゅろんわのふにときゃあには、ほっとンけなタイヤが(解読不能)」
普通、自分みたいな不気味な中年おじさんに話しかける物好きはいないから、接点は確実にバイク。でも、何とも不思議な付き合いよな、喫煙所の繋がりみたいな。まあ、タバコ吸わないけど。
バイク乗った後に車に乗ると思うけど、車は本当に便利よね。坂道発進でもすぐ走るし、クラッチは重くないし、寒くないし荷物載るし疲れないし。普通考えたら、絶対に車の方が良い。
でも、車でバイクみたいな繋がりを得るのは、ちょっと難しいと思う。レストア必須の旧車ならまだしも、それが仮にレクサスやメルセデスとかでも、普通は繋がらない。車はやっぱり実用目的だし、実用に趣味性の繋がりは要らんし。
エンタメとしての性質が強いから、バイクは接点を生むんだろうな、キモいおっさんに対してでも。キモさをカバーしてくれる存在。コレ、案外重要なんじゃないかな。
不登校や引きこもりの場合、どうせ暇なんだから、免許の1つでも取って、適当にツーリングしてみるもの良いと思いますよ。
「何してんの? 学生?」
とか聞かれるの怖い、なんて話も聞くけど、そんなの、
「ニートで~す! デュフフ!」
とか言ってりゃイイと思うよ。どうせ、キミのことなんて誰も気にしてないし、気にするような生真面目な人間は、バイクなんてヤクザな乗り物乗らんと思うし。
キモいハゲデブなおっさんでも許される乗り物が、バイク。なら、不登校・引きこもりの若者で、許されないはずがないでしょ?
先日、行きつけのバーで、卒業生や在籍生数名と歓談。
うち一人から、引きこもりという転落の始まり、その原因の究明に加え、解決に至るまでの流れを聞く。自身の至らない箇所も、転落に導いた者の存在もニュートラルに評価し、次の人生に続ける姿勢を見て安堵する。
また別の一人からは、家業と自身の進路との整合性と、その発展可能性について相談を受ける。一人を好む彼の性格が、複雑かつ拡大する商圏のことを、同時に、少なからず家族経営の匂いの残る家業のことを鑑みれば、いかに不都合な産物であるか実感している模様。手持ちのカードの不利を知った上で、摺り合わせの方法を問うあたり、将来性を感じる。
思えば、自分の出来ることも、もう随分少なくなった。場所を提供し、類似する人間を集め資金を提供し、各自勝手な成長を促す。卑怯や不誠実は糾弾するも、多少の失敗には目を瞑り、揺るがない人格の土台を養成する。
安定の中で、随分自分も怠惰になった。放置しても回転する組織は、システムとしては完成度が高いが、運営する側の成長を阻害する。
勝手に成長する青年達を見て、中年にもそれなりの奮起が必要と、ワイン片手にふと思う。
毎年必ず、在籍している誰かから「もっと早くにCARPEに来ておけば良かった」と言われる。「早くに知っていれば、現役で受験も終わっただろうし、無駄に悩むこともなかった」と。「今から考えれば、不登校期間の悩みは、ほとんどどうでも良いことだった」と。
正直、「そんなこと言われても・・・・・・」が本音だけど、まあその子達の言いたいことも分からんでもない。やってみるまでは未知で怖いけど、やってみれば早々にケリがつくことも珍しくない。やって初めて、事の容易さに気付くのが普通だし、それはそれで仕方ないと思う。
ただ、この「気付くまでの速度感」は人によりけりで、速いのもいれば、遅いのもいる。個性と言えばそれまでだけど、当然速い方が有利だし、遅い方が不利。遠慮無く言えば、遅くて良いことはほとんどない。
認識の遅さが、致命傷になることもある。進学校出身の、医学部志望の青年(20代後半)。一度面談した際に、「まだギリギリ間に合うので、そろそろ動いた方が良い」とアドバイスしたものの、結局グダグダが伸びすぎて、既に30代半ばを越え、事実上その選択肢を喪失。
本人はどうにかなると思ってたっぽいけど、どうにもならなくなった。プライド高そうだったので、高校生の下についてのアルバイトなぞ出来ないだろうし、親が死んだら野垂れ死ぬか、良くて社会に迷惑かけながら生活保護か。勉強の素質はあったのかも知れない。が、ここまで遅いと、最早どうにもならない。
逆に、30直前まで動いてなかったものの、「経歴考えると正直微妙だけど、やるだけやってみよう」と話すとすぐに動き出し、二年足らずに医学部に入ってしまった卒業生もいる。元々心優しい性質のヤツなので、きっと良いドクターになるでしょうな。
速い子は、アドバイスに対するレスポンスが非常に良い。無論、動き出す適切な「時期」というものはあるので、少しずれて動く可能性も十分あるし、それはそれで良い。少なくとも、人生捨てるレベルまで遅くならなければ、問題ないと思う。
逆に、遅いのは文字通り「死ぬまで」動かない。理由は色々あるのかも知れないけど、社会に余裕が無い以上、正直理由なんて二の次三の次。社会は若い子にしか配慮してくれないし、無能なおじさんおばさんなんて、そもそも存在意義がない。社会を引っ張れる、人の助けになる存在になって初めて、おじさんおばさんでも、社会は存在を認めてくれる。
若さは、タダではない。若さとは、どんなダメ親でもクズ親でも、必ず子供に与えてくれる「貯金」。手加減して貰えるうちに、その後の人生の備えを作るよう与えられた猶予期間に過ぎない。若さと言う名の貯金が無くなれば、ただ貧しいだけの中年・老年期が待っている。厳しいようだけど、これが現実の世界。
若さを無駄遣いしてはいけない。無駄遣いの傾向があり、自分自身で「遅さ」を認識しているなら、そして、その危険性を少しでも感知しているなら、出来るだけ「速く」その性質を変えて欲しい。それが最終的には、自分のためだけでなく、確実に周囲のためにもなる。
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