不登校・引きこもりからの大学進学塾

合否の分かれ目1「苦しいときほど、生活は変えないこと」

不登校や引きこもりの子向けと言うだけで、基本的にCARPE・FIDEMは塾です。そのため、受験に関しては、一般的な高校生や浪人生の子達と事情は変わりません。

ただ、この業種を15年近くもやっていると、経験則的に大筋の合否が事前に分かって来ることがあります。あくまで経験則ですが馬鹿に出来ない話ですので、思い当たる節のある人は参考にして下さい。

 

合否の分かれ目1 「11月以降に生活習慣を変える人は、試験で失敗しやすい」

毎年のことですが、この頃は重要な模試がドンドン帰ってきます。そのため、試験毎に一喜一憂が発生しがちなのですが、教える側は、その結果を見た上での一人一人の行動を地味に観察しています。

で、その観察の結論が、

「模試の成果がどうであれ、これまでの生活リズムを一定に保ち続けている人は、本試験も通りやすく、何かと理由をつけてリズムを変える人は、本試験で落ちやすい」

です。

よくある事例は、

「よっしゃ! 模試でA判定だわ! 俺秀才マジ天才! これなら多少授業サボっても平気やろ」

とか、

「ダメだ……。全然成績上がってない……。これまでのやり方がおかしいのかも知れない……。自分のペースを取り戻そう。やり方を変えよう」

とかでしょうか。経験則ですが、大体落ちます。

逆に、

「模試の結果は良かったけど、これからは皆勉強するから、偏差値は上がりにくい。これまでの形をキープしながら、速度を上げていこう」

とか、

「模試の結果は良くなかったけど、下手に我流に流すと、これまでの成果も消える可能性がある。まずは今の姿勢を守りながら、復習の量を増やしていこう」

等の場合は、大体大丈夫です。最初は不安定でも、成果は後から出てきます。

このような分岐が発生する理由は色々あると思いますが、個人的には、「追い詰められることで、その人の本質が浮かび上がって来ている」というのが実情だと考えています。「苦しいからサボろう」と考える人と、「苦しいけど頑張ろう」と考える人との違いと言えば分かりやすいでしょうか。当然、前者は落ちやすいですし、後者は受かりやすいです。

特に危険なのが、

「ダメだ……。全然成績上がってない……。これまでのやり方がおかしいのかも知れない……。自分のペースを取り戻そう。やり方を変えよう」

のタイプの人です。

この手のパターンの人は、大体がまず最初に「朝起きなくなり」ます。次に、「授業に来なくなり」ます。で、理由を聞くと、

「家で勉強してます」

「自習の方が効率が良い」

等がほぼ90%を占めますが、実際の家庭での状況を確認すると、親御さんからは、

「家では、寝てるかネット見てます。朝は起こしても起きてきません」

「たまに勉強しているようですが、集中しているようには見えません」

という回答が帰ってきます。要は、単に苦しいから怠けたいだけで、その理由付けに「自分のペース」「やり方を変える」という言葉を利用しているだけということでしょう。「ナンバーワンよりオンリーワン」みたいな、「もっともらしいけど、自分を甘やかしてくれる」甘い言葉にコロっとやられてしまうタイプにありがちな話です。

このタイプの厄介なところは、「自分は新しい方向性を模索しているんだ! サボっているのではないんだ!」という自己弁護を行い、「合法的に」サボろうと画策しているにもかかわらず、それを自分で意識出来ない点にあります。意識出来ないからこそ失敗するのですが、個人的には、ここが「馬鹿と利口の分水嶺」だと思っています。

賢い賢くないというのは、勉強の出来不出来よりも、このような自己観察能力にあるというのが、教育現場に身を置いてしみじみと実感したことです。自己観察に優れているから、結果的に成果も出る。自己観察に劣るから、成果も出ない。当然のことですが、普通はなかなか気付きにくいことです。

つまり、自己分析の観点からすれば、

「よっしゃ! 模試でA判定だわ! 俺秀才マジ天才! これなら多少授業サボっても平気やろ」

のタイプの方がよっぽど良い訳です。自分を偽ることなく、堂々とサボっているのですから。

 

詰るところ、理由なんてどうでも良いのです。決まった通りに行動出来ているなら、それはそれで正解です。行動出来ていないなら、どんな立派なお題目があろうとも、既に失敗なのです。中には、適当にやっても上手く行く人もいますが、その手の人は、「一を聞いて十を知る」の先天性エリートのみで、99%の人には無関係の話です。私達凡人は、誰が何を言おうと、この地道な努力からは逃れられないということです。

11月を過ぎたら、自分の「口」や「思考」を安易に信用するのは止めましょう。どんな理由があっても、「自分を甘やかす口実作り」になっています。唯一信用出来るのは、「行動」のみ。

朝は決まった時間に起きていますか? ⇒YES/NO

夜は決まった時間に寝ていますか? ⇒YES/NO

決められた宿題は終えましたか? ⇒YES/NO

決められた復習は終えましたか? ⇒YES/NO

結局は、これにしか価値は無いのです。当然の事実にいつ気付くかで、人生が全く別モノになることを是非実感して下さい。高々受験勉強程度でも、これ位のことは容易に学ぶことが出来ます。

私大医学部一次試験の合格が出てきました。

いやー。何とも凄まじい雪でしたね。流石に危険なので月曜は休講になりましたが、ようやく今日の夕方から再開しました。しばらく寒いみたいですので、試験控えている皆さんは気をつけましょう。

ところで、ジワジワとですが、私大医学部一次試験の合格が届き始めました。勿論、二次試験に合格して正式に「おめでとう!」ですので、まだまだ油断は出来ませんが、吉報が出て何より。まだまだ試験は続きますし、これから薬学部や理工学系学部も次々に試験が来ます。落ち着いて取り組みましょう。

「合格最低点に5%届かないでゴザル」

とか

「センターの足切りがマジで不安」

とか

「圧迫面接あったらどうしよう……」

なんてのは、よくある話です。この時期は、精神的に負けなければ、まずはOKです。

国立大学を受験する皆様も、私大受験と平行での選定作業と出願で忙しいと思いますが、変なミスをしないように気をつけて下さい。

ところで、面談を希望の方にご連絡ですが、希望者多数につき、現在1月中の面談枠がほぼ無い状態となっております。2月以降は受け付けておりますが、繁忙期のため、ご要望に合わせられない可能性が高いと思われます。予めご了承下さいますよう、お願い申し上げます。

和を以て貴しと為し、忤ふること無きを宗とせよ

「今日は父上の機嫌伺いに行ってみるか」

有閑の折、池波正太郎の「剣客商売」を読み進めるうち、何とはなしに登場人物の秋山大治郞と自らを重ね始め、寸時、日本橋は人形町まで足を伸ばし、父(小兵衛)の診察に出向く近隣の健保会館近くにて、鮨をつまみつまみ昼餉を共にした次第に候ふ。

 

「おお、大よ。久しいのう、息災であったか」

「父上もお変わりないようで」

子らも独立し、後はいつとも知れぬ孫の姿が楽しみなためか、すっかり好好翁然なりし父も、

「まだまだ時流に落伍してはおらぬ」

とばかり、矍鑠とした歩みにて、安堵を誘うこと幸甚の至り。

「昨今、老人は75をその初めとするよう検討されておるようじゃの。お上の年金政策も、楽隠居を容易には許してくれぬらしい」

「近頃のお年寄りは元気にございます」

「はっはっは。違いないわ」

 

馴染みにて、二人して鮨をほおばりながら、昨今流行りし「えいあい」に続き、「びっとこいん」「ぶろっくちぇーん」へと話が進み候へば、

「ふむ、近い将来、この一分銀が使えぬようなる日が来るやも知れんのう」

等と父の語りし様、まことに往事と変わり無く、後に事の次第を弟妹に伝うべく飛脚に託し候ふ。

 

鮨屋近くの辻に、南蛮渡来の「かふぃい」なるものを嗜みし折、題は家族の事になり候ふ。

「……父上、母上はお元気でしょうか?」

「おうおう元気も元気。変わらず診療所を切り盛りしてくれておるわい。大助かり大助かり」

「安心致しました。暫くご無沙汰しております故」

「まあ何じゃ、長年連れ添っておれば色々あるが、助け合ってこその家族じゃよ」

「……ときに父上、家庭にあって最上とすべきは何にございましょう?」

「家庭にあって、とな?」

「左様でございます。私も、この先長く家庭を養って行かねばならぬ立場故、事の要諦を拝聴したく存じます」

「ふむ、そうさな……。敢えて言うなら……」

「言うなら?」

「『和』じゃな」

「『和』にござりますか?」

「左様。十七条の憲法にもある、あれじゃ。和を以て貴しと為し、忤ふること無きを宗とせよ」

「諍い無く……でしょうか?」

「いや、そうではない。諍いは、誰彼問わず常時あるもの。諍いを防ぐことは出来ぬ。大切なのは、両者の落とし所じゃよ。戦い、争うていても、最後には両者共に歩み寄り、妥協点を見出す。その姿勢を持つことが、『和』じゃと儂は思う」

「家庭においては、その『和』を最上とするのでございますな?」

「その通り。余程のことが無い限り、家族の縁は切れぬ。離縁したとしても、血の繋がりは残る。切るに切れぬが、家族の縁。それ故、家族同士我が儘を申しても始まらぬ。諍う傍から終を探し、己を省みては相手に至る。『和』の心は深いぞ?」

「拝領致しました。若輩故、至らぬこともございますが、肝に銘じましょう」

「うむ」

「ときに父上、この旨は弟妹にも……」

「そうじゃな。あやつらも、どこかで役立てることもあろう。折りに触れて話そうではないか。丁度良い、弥生の月にでもまた、武蔵国の隠宅に皆で集まるのはどうじゃ?」

「では、私より伝えおきましょう」

「今はもう、田沼様の治世になく、平成の世も末の頃じゃ。南蛮由来の『あいでんてぃてぃ』が言われる事夥しいが、和して同ぜずの少なきこと。大和の頃より音には聞けど、今に『和』を成すことの困難よ」

「……」

「のう、大よ。他家はどうあれ、秋山家の要諦は、『和』にあること、努々忘れるでないぞ」

「心得ましてございます」

 

久しくなりにし父の言葉と共に、三十路過ぎの「ごっこ遊び」もまた、ここに幕を閉じ候ふ。

センター試験お疲れ様&私大医学部受験組ガンバレ!

今年もまた悲喜交々でしたが、大きな事故も無く、無事に終了して何よりでした。(ムーミンとか何とか、色々あったようですが。)早速自己採点を進めて、段階的に国立大の志望先を決める頃ですが、それと平行して私大の試験も始まります。特に医学部はもうスタート段階ですので、気持ちを切り替えて進めて欲しいと思います。

昔と違い、最近は私大医学部の学費が下がってきたこともあり、一般的な家庭からも奨学金を併用した受験生が参入するようになったためか、特に都心の私大医学部は大幅に偏差値上がりましたね。自分達のときからは考えられない位の伸び幅です。CARPE・FIDEMでも、昔は私大医学部は国立の止めでしたが、今は私大が第一志望の人も結構出てきてます。時代の変化でしょうか。

受験に際してよく話していることですが、不登校や引きこもりから大学へ行く際に、所謂Fラン大学行くのは本気で止めて下さい。(特に、20過ぎた人は。)有効度の高い資格が取れる学部なら良いのですが、Fラン私大文系とか、大学にお金だけチュウチュウ吸収されて、本当に何も残らないですからね。それだったら、働いた方がよっぽどマシです。

引きこもり当事者でも、

「気持ち切り替えて大学行ったけど、意味なくて辞めた。大学無駄」

みたいに言う人いるんですが、その場合、ほとんどが底辺私大文系学部で、何も勉強しないで入れる大学です。そんなところに意味があるはずがない訳で、このような事例はあまりにお粗末です。大学の問題と言うよりも、本人の判断能力が低すぎて失敗している分かりやすいケースです。

「学歴があるから評価される」⇒「他の人より優れた部分があるから評価される」

に時代全体が切り替わっているのですから、その程度はきちんと理解して進学すべきでしょう。

他にも、「引きこもりだからダメ」とか、「不登校だから人生終了」とか言う人もいますが、実際はそんなことはまずあり得ません。しかし、「無能だからダメ」「何も出来ないから人生終了」は十分あり得ます。(と言うか、実際に既に発生しています。)無能だから人生詰むのであって、引きこもりだから、不登校だから詰むのではない。なら、有能になれば良いだけのことです。

丁度、今日面談にいらした方も、

「20前半はバイトだけで生活して来ましたが、これはもうダメです。未来が無い、先が見えない。時給1,000円にも満たないと、時間だけが消費されてしまう。今は兎に角、時間が勿体ないという意識で一杯です」

と話をされていましたが、その感覚こそ重要だと思います。時間給800円程度で使われる人がいる一方、時間給1万だ、5万だ、10万だの人達が普通にいて、寧ろ世界全体では、後者の方が需要が多いという実情に気付くことが、自分の方向性を変える良いきっかけになるのだと思います。

因みに、この手の話をすると、必ず一定数、

「そういう金持ちは、貧しい人から搾取している薄汚い連中だ云々……」

のような、社会主義発想満載の人達が発生するのですが、時代をわきまえて話しましょうな。「搾取」なんて単語自体、40年前でさえすでに通用しなくなっているのに、まだ平気な顔して使っている人がいるのですから、驚きです。「お前はどんな劣化マルクスだよ」と。

日本だけ見ても、明治時代から、大正、昭和、平成と、人々の生活が、国家単位から企業単位にスライドし、これからは個人単位に変わって来ています。つまり、先進工業国は、「結局は、その人次第」という、究極の個人主義社会へと変化している訳です。こんなに面白い時代は中々無いわけで、今に生まれ合わせたことは、大層な幸運だと思いますね。「搾取」だ何だ言ってる段階で、もう流れの後塵を拝しているのであって、そんな他人の足を引っ張るような退屈な人生に、一体何の意味があるのですかね? これほど自由に何でも出来るのに。

社会と時代が何を自分に要求し、どこに向かっていて、そしてどうやって自分を社会に合わせていくのか。私自身にも言えることですが、一番重要なのは、平素の地道な努力であることを肝に銘じましょう。高々大学入試程度でも、それ位のことは、分かりやすく教えてくれますしね。

続・「何故長期高齢引きこもりは叩かれるのか?」

以前記事にした話題

「何故長期高齢引きこもりは叩かれるのか?」

https://www.carpefidem.com/2017/12/12

の続きがありましたので、寸感を。筆者の方は前回と同じですが、前と比べたら、当事者側の奇妙な発言を入れてない分、相対的に見て「マシな」書き方になってると思います。ただ、やはり現実とは決定的に違うことが書いてありますので、そこを指摘しておきます。

国がいよいよ本腰を入れる「引きこもり支援事業」の本気度とは?

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180111-00155399-diamond-soci

 

端的に言えば、

1:社会参画を望む高齢引きこもりへの対策に国が13億円の予算を組んだので、

2:社会に出たいけど出られない人達の手助けになるといいね。

3:まあ、産経新聞のトバしは認めらんないけどね。

です。3の主張は相変わらず微妙ですが、1と2は事実関係だけなので、総合的には無難な記事だと思います。

筆者の方の1をまとめると、

〇「就労準備支援事業」による、脱ヒキ用家庭訪問と、地域就労のマッチング

〇「ひきこもり地域支援センター」に対する予算拡大

〇担当者教育を行う「ひきこもりサポーター養成研修」・「ひきこもりサポーター派遣事業」

〇引きこもり当事者に対する「情報のプラットホーム」「居場所」への援助

となります。

 

因みに、方向性自体を云々言うつもりはないのですが、コレ、予算のゼロが二つ三つ足りません。13億円って言うと、個人レベルでは凄そうに見えますが、都道府県で均等に分けたとすると、2800万円もないですからね。地方都市に戸建ての家買う位しかない。都心だと、ワンルームマンションすら買えない。家計で考えると、子供の小遣いのようなものです。

無論、都道府県も出しますから、多少は増えますが、それでも5,000万円超える位のお金しかありません。これを、また更に市区町村に分けるわけで、末端に来たときは数十万~数百万円にしかならんです。決定的に金が足らない。

前の記事でも書きましたが、長期高齢引きこもりの問題が手遅れなのは、筆者の言う「自治体の事業が当事者のニーズに十分寄り添えていない」とかいう、自治体バッシングで死者に鞭打つような根性論や精神論ではなくて、単に金不足・マンパワー不足なだけなんですよ。実際、自治体側でも、「事業化しにくい」「事業化していない」と「事業化したいが予算面で困難」と挙げているようですが、そりゃそうですよ。脱ヒキにかかる人的予算と、その後引きこもりが稼ぐ税収とのバランスが悪すぎる。長期高齢引きこもりの場合、アルバイト出来るだけでも万々歳なのに、そのレベルの所得税って、頑張ってもたったの5%ですよ? 自治体予算の住民税なんて、最初から徴収不可じゃないですか。

ただでさえ「三割自治」なんて言われて金不足の地方自治体に、これ以上のことを求めるのは無理ではないですか? 筆者の方は、自治体に親でも殺されたのかと勘ぐる位です。

これは私個人の意見ですが、恐らく、厚生労働省の方では、現行の長期高齢引きこもりは事実上無視する形で動いていると思っています。とは言え、ウルサイ人達もいて、何もやらないのも問題なので、とりあえず表面的には「私達一生懸命動いてますよ」アピールはするはず。これが、この13億円の実情だと思います。似たようなことが、老人介護の問題でもあったので、それと同じ戦略でしょう。

ただ、これを見て「厚労省はけしからん!」とか言うのはどうかと思います。寧ろ、経済性やモラル面から考えれば、現実的でバランスの取れた、非常に頭の良い判断をしていると思います。今後も予算を段階的に微増させることはあると思いますが、本気出すことはないでしょう。厚労省的には他にもっと重要なことがあるので、それらしいポーズだけしておいて、手遅れ系は実質的には見捨てる方向で動きを固めてるでしょうな。お金無いし。

 

因みに、上記事業についてですが、

〇「就労準備支援事業」による、脱ヒキ用家庭訪問と、地域就労のマッチング

について。家庭訪問は有効だと思いますが、これのネックは「人件費」でしょう。アウトリーチは有効性はありますが、兎に角金がかかりますし、特に今は人手不足ですから、労働単価を考えると、非常に難しいはず。現場的には、専任稼働人員が1名、兼任が2名とか、そんな感じになると思いますね。それでも、結構良い方かも知れません。

次の地域就労マッチングですが、これはまず上手くいかんと思いますよ。最低限、当事者を地域外に出さないとダメ。

引きこもり当事者は、地域社会を恐れていますからね。特に田舎の方だと、地域社会自体が狭いので、

「マッチングで入った会社の社長が、中学時代の後輩だったでござる」

とか、

「あれ? 役場の福祉で来たって言うあの太った男、昔の部活の先輩じゃね?」

なんてことが頻発するわけです。歪んだプライドしか残ってない彼等に、そんなことが耐えられると思いますか?

「脱ヒキ練習で来やした、無能なおっさんヒキでっす! 昔の後輩社会の先輩、オナシャっス!!」

とか言えれば良いんですけど、そんな人なら引きこもらないですからね。まあ、無理。

やるなら、都道府県単位で住所を変える位の方が無難ですな。ネタ扱いですが、北海道のおっさんヒキと沖縄のおっさんヒキを交換するとか。東京の長期ヒキと大阪の長期ヒキを交換するとかの、引きこもり交換留学制度とかね。

冗談はさておいて、要は、「自分のことなど誰も知らない新天地で、次の人生やり直し」ってことです。スネに傷のある元受刑者がやったりするアレと同じね。名付けて、「脱ヒキ湯けむりスナイパー戦略」。

そこそこ大人しくて、お年寄りとか好きな当事者だったら、マンパワー不足の限界集落で、日常生活を有料でお手伝いする自営業とか立ち上げても良いと思いますね。1時間1,000~2,000円位で、家の電球変えたり、掃除を手伝ったりする、簡単なホームヘルパーです。平均年齢60歳とかの世界だと、40代とか激若手ですから、重宝されますよ。

引きこもり当事者に必要なのは、安定的肯定感です。何のかんの言っても、誰しも人から必要とされていることが重要なわけで。そこを外すと上手くいかんでしょう。ヒキ履歴のあるエリアからの離脱は、案外有効なんですけど、まあ、これも結局はお金次第ですか。お国がやることではありませんな。

〇「ひきこもり地域支援センター」に対する予算拡大

〇引きこもり当事者に対する「情報のプラットホーム」「居場所」への援助

の二点は良いと思いますね。予算増やして悪いことはないと思います。

〇支援担当者教育を行う「ひきこもりサポーター養成研修」・「ひきこもりサポーター派遣事業」

についてですが、これ自体は悪くないと思うのですが、何かデジャヴが……と思っていたら、思い出しました。

昔「引きこもり支援相談士」なるものがあって、当時は関係者がワイワイ言っていたのですが、アレ、どうなったんでしょうか? 実際に取った人に聞いたところ、要は、脱ヒキした当事者に資格取らせて、引きこもり後輩の指導をさせようっていう、誰でも取れるFラン資格でしたので、

「こんなの意味ないから止めた方が良いよ。予算の無駄だよ」

と話したところ、当事者やその周辺の方々がお怒りだったので黙りましたが、その後全然話題に出ないですね。本当に機能してるんでしょうか? 実際に取った彼も、

「『時給5,000円の仕事がある』と言われたので取ったのに、実際に取ったら『そんな仕事無い!』って言われました……」

なんてこと話していましたが。

あまり言いたくないですけど、価値の無い認定制度に予算投入するから、本当に必要なところにお金が回らないんだと思いますが、その辺のところどうなんでしょうか? 少なくとも、同じようなルートにならないことを期待しますが、何というか、引きこもり関連って、こういうやっても意味ないもの多い気がします。

 

以上、まとめると、「長期高齢引きこもりへの本格的対策が始まった」のではなく、「極力普通の人達から悪者が出ないように工夫しながら、長期高齢引きこもりの終末期安楽死政策が始まった」の方が、幾分正しいというのが実情でしょう。

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