「手抜き」とは一般的には叩かれる行為かと思いますが、こと勉強については、必ずしも当てはまるわけではありません。ある程度以上の大学になると、自然と学習分量が多くなり、ただ気合いだけで何とかなるものでもないからです。
無論、中途半端な勉強をいい加減にするだけで良いなら、どう学ぼうと勝手ですし、好きにすれば良いと思います。しかし、それなりに意味のある大学や学部に進む場合、学習総量を鑑みれば、勉強の軽重加減を調整することは、それ自体が勉強として意味を持ちます。要点を見抜き、どうでも良い部分を捨て、大切な部分にリソースを割く。言い換えれば、「要を見抜き、他を捨てるという行為」そのものが「学び」になります。
例えば、先日の飲み会の際に来た卒業生のギルマス君なんかは、基本的に勉強は三時間しかしません。と言うか、したがりません。理由は単純。勉強嫌いだから、極力早く終わらせたいだけ。終わったらゲーム。
ただ、彼は医学部医学科の在籍で、成績は非常に良い。勿論、彼自身が賢いのも事実ですが、それ以上に彼は「学び方」が上手い。要点はいくつかあって、
〇一度学んだものは極力忘れないように、復習を効率良く行う。(二度手間は最も非効率)
〇集中出来ないときは、さっさと諦める(「集中力×時間=効率」の論理)
〇勉強しないでも、スコアが取れることが最良。(勉強自体を目的化させない)
等でしょうか。
経験則ですが、例えば、東大や医学部・早慶等の上位層の卒業生には一様はこの傾向があり、勉強を短縮して遊びや休息に利用する時間効率の妙味が生きています。一見すると、「ガリ勉」な真面目君ばかりがいそうな空間で、何故か、
「勉強も出来て彼女もいて、生活も安定して愉しそうなリア充君」
がいるのは、こういう事情があるわけです。寧ろ、ガリ勉は一つ下に見られる位かも知れません。
また、適度な手抜きは、日々の生活に余裕を与えてくれます。特にこれからの季節はそうですが、精神的に余裕が無くなると、まず最初にメンタル面での不調が発生します。それが結果的に学習面での不調や、身体的不調に派生し、気がついたら全ての面で失敗ばかり続くことに繋がります。
逆説的ですが、「極力勉強しない!」という姿勢が、何故か「より良い成績」「より愉快な日常生活」を生み出したりします。真面目であることは大切ですが、真面目とはただの性質であって、真面目自体は目的ではありません。いい加減な集団では別ですが、一定水準以上の群になると、真面目本体の価値は乏しくなります。
今年も、医学部や東大、早慶等難関大学希望者がかなりの数でいますが、進路先に優秀な学生ばかりがいることを考えれば、学習の効率化も自然と大切になってきます。学ぶことは当たり前としても、
「どう学べば、より少ない労力で同じ成果が出せるか?」
についても、是非考えてみて下さい。
人生は机上の勉強ばかりではありません。参加者の子達が、机上以外の学びを自由に経験出来る、本当の意味での優秀な人物になってくれることを期待して。
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