少し前に入って来た10代の女の子が、
「大村さんって、親戚に1人いると、何かあったときに使える『便利なおじさん』だよね」
と、私の個人評を述べたことがありまして。これには、私も「なるほど!」と合点が行きました。
何の話か分からないかと思いますので、事情を説明しましょう。
私がCARPE・FIDEMの経営に関与して、前身も含めれば既に15年近くになり、人生の半分近くは不登校・引きこもり教育にかけたことになりますが、
大学生の家庭教師(塾講師)
↓
20代の若手経営者
↓
35歳の???(今ココ)
という形で、年齢の変化と共に、社会的定義も変化してきました。結果として、参加者の子達との立ち位置も変わってきています。
大学生時代は、彼等とは年齢の近い「友人」でした。それが、20代半ばを過ぎると、若干先の事を知っている「お兄さん」になります。しかし、30も半ばになると完璧な「おっさん」。10代の子達とは二倍近く歳が離れているわけで、既に細かな部分で若い子達の体力や変化には追いつけなくなっています。スマブラで毎回負けるし、スプラトゥーンの傾き操作が良くワカラナイ? 10歳離れた従兄弟とプロレスして肋骨にヒビ入るし、山の緑と川のせせらぎに心奪われるようになるしで、もうおじさんというよりは、老成した「おじいさん」になりつつあります。
結果、30代にもなって「お兄さん」役なんて主張したら、気持ち悪いことこの上なし。細君からも、
「品が無いから、変な若作りはしないように」
と釘を刺されております。と言うわけで、「お兄さん」の役目は、講師の卒業生の子達にお願いするわけです。
しかし、ここで、
「で、ワイの立ち位置は?」
と疑問が。
「寝てれば?」
とか、
「大村さん動くと邪魔なんで、その辺で座ってて下さい」
とか、
「担ぐ神輿は軽い方が良い」
とか言われて、存在意義が良く分らない。
「やばい! 『青年期の課題』ならぬ、『中年期の課題』発動か?」
とか、心密かに戦慄するわけです。
そこへ、この、
「大村さんって、親戚に1人いると、何かあったときに使える『便利なおじさん』だよね」
発言ですよ。こりゃあもう、すがるっきゃない。このビッグ自己定義に。
確かに思い返してみたら、私からは加齢臭と平行して、『便利なおじさん』臭がしておりました。
※「大村さん! 今度実家帰るんで、卒業生集めて飲み会しましょうよ!」
私「よし分かった! 支払いは任せとけ!」
※「大村さん! 今日は授業ダルいんでどこか行きましょうよ!」
私「よし分かった! 車出すんで、千葉の海に行こうか!」
※「大村さん! 込み入った話あるんで、口が滑らかになるような時間下さいよ!」
私「よし分かった! 授業終わったら、頂き物のワインを開けようか!」
確かに、これは便利ですわ。安心と信頼、納得の品質。
と言うわけで、今後も
「親戚に1人いると、何かあったときに使える『便利なおじさん』」
をモットーに運営して参りたいと思います。よろしくお願い致します。
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