不登校・引きこもりからの大学進学塾

ブログ

不登校・引きこもり雑感23 やらない方が良いこと&やった方が良いこと

 先日、不登校の相談を受けていてちょっと参考になりそうな話がありましたので、備忘録として。時間取れたら、どこかでコラムにまとめることにします。題して、「不登校でやらない方が良いこと&やった方が良いこと」リストです。

 まず一つ目。「all or nothing思考を止めること」。白黒思考とか、0か100か思考とか言われているアレです。例えば、

「東大に行けなければ大学進学は無駄」
「定期テストで満点取れないから試験に行く意味がない」
「全員から評価されてないと輪に入れない」

など、自分の心に傷がつかない完璧を求め、それが出来ないならばすべてをうっちゃらかすと言うタイプの思考です。

 発達障害界隈ではよくある話なのですが、この性質を持っていると、ほぼ100%人生が空回りします。天才的才覚があれば、0-100でも上手く行く子もいるのですが、本当に一部の天才だけで、高々秀才程度では全く意味がありません。客観的に自分を見ることが出来るようになったら、絶対に止めましょう。まず最初に止めるべき最重要項目です。

 次に止めるべきは、「親のせいにする」。十代なら別に特に珍しくもない話なのですが、親のせいにしている人はまず成長しません。どれほど親がクソだったとしても、親のせいにしている間は成長0。

 長期高齢引きこもりで40過ぎている人とか見てみると分かりますが、過半数がこのタイプです。酷い話になると、50だの60だので「親が悪い親が悪い」と言い続けている中高年男性が、引きこもり家族会の演説とかやったりしてますが、アレとか典型例です。逆に、「親が悪い」を止めた瞬間から成長が始まります。止めるだけで成長するのですから、安いものです。是非止めましょう。

 過去についてぐちぐち言うのもやめた方がいいです。別に言っても良いのですが、聴いていて気持ち良いものではありませんし、何より時間の無駄です。不登校や引きこもり経験者は、ただでさえ経験が少なく、人よりも成長が遅れています。どこかのタイミングで巻き返しを図る必要がありますが過去について語って巻き返せるものなど高が知れています。折角語るなら、未来について語りましょう。

 次にやった方がいいこと。「好奇心の幅を広げ」ましょう。発達障害界隈では、最初に挙げたようなall or nothing思考が幅を利かせていますが、このタイプの人間は概して好奇心の幅が狭く、視野狭窄に陥りがちです。視野の狭い人間は外から見ていて魅力的に映ることはまずありませんし、下手すれば不気味にすら映ります。狭く深くで職人芸的な才能を発揮するならばまだ良いですが、そこまでできる人は少数派です。ただ視野が狭いだけのしょうもない人間には、何の価値もありません。大いに反省して、まず他の人が「良い」と言っているものを一回囓ってみましょう。囓りせずに否定するのはだめです。とにかくまず経験して、しばらく継続してみて、その上で嫌ならば辞めて構いません。「まず一度経験してみる」という姿勢を心がけて下さい。

 それが出来たら、「人間の評価は言葉ではなく、行動で決まる」という現実を直視して下さい。どれほど「やるやる」言っても、実際に行動していない人間はまず評価されません。不登校・引きこもり当事者には、言葉に重きを置いて行動を軽んじる人がとりわけ多いのですが、これはよろしくない傾向です。自分の思考を整理する、或いは情報伝達するという意味では言葉は大切ですが、他者からの実評価は言葉ではなく、当人の行動で発生します。口ではどれほど素晴らしいことを言っていても、その背後で窃盗を繰り返す人間が評価されることはまず無いでしょう? 行動こそがその人間の本音であり、人からの評価において、言葉はほぼ力を持ちません。この現実を知っておきましょう。

 最期に、「『自分は正しい』と言う思考を一度全て捨て」ましょう。特に不登校や引きこもりが長い人は、自分の価値観がバグっていることに気がつかないまま漫然と生活していたりしますが、本当に判断が正しいならそうそう不登校にもなりませんし、引きこもりも長期化しません。間違っているから長期化するのであって、この事実から目を背けないように。

 例えば、受験業界の多浪生には、全然うまくいってない勉強法を延々繰り返し、成績が伸びないまま毎年毎年浪人を繰り返す人ががいます。彼の中では「自分が正しい」という思考があるのでしょうが、客観的に見て上手くいっていると言えません。上手くいっていないにもかかわらずそれを続けてしまうのは、そのほうが楽だからです。「お前は間違ってると言われるのが苦しい」「否定されるのが恐ろしい」そのような判断の結果として「自分は全て正しい」という愚かな思考に陥りってしまいます。しかしその結果は、自身の人生の全放棄でしかありません。

 「自分は間違っているかも」という思考をまず持ち、他人の助言には謙虚に耳を傾けるようにしましょう。そして一つ前の項目で話したように、口だけではなく、それを行動に移して下さい。

 大体上記のような話をしましたが、今ひとつまとまりがないですね。清書して、また掲載し直すことにしましょう。

不登校・引きこもり雑感22 長期高齢引きこもりの葬儀

 今年は、葬儀関係の話が例年よりも多い気がします。 一年の折り返しを過ぎた時点で、既に長期高齢引きこもり絡みの葬儀の話が六件も。自分が具体的に知っているのは一件(特に引きこもりではありませんが、)だけでその他は全て伝聞なのですが、引きこもり当事者の葬儀というものは、何故か似通った相場のようなものがある気がします。

 まず葬儀の規模が小さいこと。最近の冠婚葬祭の傾向でもあるので、特に引きこもりが関係しているとは限りませんが、客観的事実として引きこもりの葬儀は規模が小さい。自分が知らないだけで、恐らく直葬のような形式をとっている家庭もかなり多いのではないかと推察しており、実際大々的な葬儀を実施した事例は、過去20年でもまだ数回しか聞いたことがありません。もともと交友関係が狭く、呼ぶ人がいないのでしょうが、引きこもりという子供の立ち位置を認識されたくないという家族側の事情もある気がします。

 その死について悲しんでいる人が少ないのも、引きこもり系葬儀の特徴です。「葬儀を見れば、その人の生前の行いは大体分かる」そうですが、悲しんでいるのは母親のみという場面は頻繁に聞きます。酷い(?)ケースになると、家族全員が満面の笑顔で送り出すようなケースもあり、生前の引きこもり当事者が、いかに暴君であったかを簡潔に物語る事例です。

 因みに、今回聞いた中で一番酷い事例は、50代の中年男性。ブクブクに太り、家族の金を巻き上げて株式投資を行う「自称」投資家で、長年の不摂生(偏食・運動不足・不潔)が祟り糖尿病が悪化。通院もせずにそのままあえなく昇天というケースでした。(何故か、このタイプは度々聞きます。)この件は、その当事者の甥からの伝聞でしたが、「ようやく死んでくれた」という空気が親戚一同から充満しており、悪臭漂う部屋の清掃は、孤独死専門の業者に頼んだそうです。しかし、親の金巻き上げる「自称」投資家の引きこもりって本当に多いですね・・・・・・。

 長期高齢引きこもりの最期は大体が自業自得なものですが、脱ヒキは不可能でも、まずは最低限「悲しみに包まれた葬儀」をして貰えるような生き方を心掛けましょう。

pagetop