不登校経験者は、アバウトな勉強方針の方が上手く行きます。
「今日は交流回路の予定でしたが、反対意見が激しい上に僕も面倒臭いので、
予定を変更して有機化学にしましょうか」
基礎クラスの授業開幕時
学校や塾には厳密な時間割があるものですが、CARPE・FIDEMのそれは、実にフワッとした抽象的な存在です。
その日の「気分」で授業は変わる
長年学習指導をしていると、クラスの「空気」には敏感になります。模擬試験が実施された翌日の出席率は低迷するのが常で、仮に出席していたにしても効率は落ちます。また、春先の心機一転も、梅雨を過ぎれば見る影も無くなるものですし、落ち込み知らずの夏を過ぎれば、憂鬱続きの秋がやってきます。
学習という行為は、どうしても頭脳内での作業が中心になります。そのため、多少なりとも脳の影響を受ける「気分」は、蔑ろにして問題無いパラメタではなく、寧ろ最優先課題とすべき項目です。機械的に組まれたカリキュラムを無機質に処理すれば、会社の運営は楽になるかも知れませんが、学生側の疎外された「気分」は散り散りになって浮遊するばかり。まして、不登校・引きこもり経験者は気分屋が多いため、過度の浮遊は指揮統制にも関わってきます。無論、成績上位層でもこの傾向は変わりありません。
そのため、CARPE・FIDEMでは、一切の手続き無しに、各学生の「気分」によるその場その場での科目変更を認めています。
「今日の授業は無機化学だけど、何かを記憶する元気が無いから、その代わりに英文和訳をしたい」
「ベクトルサボったので、複素数が理解出来ない。平面ベクトルの説明をもう一度頼みたい」
「そもそも今日はやる気が出ない。元気が出るまでマリオカートに逃げる」
等の提案は日常茶飯事ですが、私はこれを問題ともワガママとも認識していません。「どうぞご自由に。ただし、どこかのタイミングで不足を補うように」とだけ伝え、後は自由に任せています。
一見すると破綻待ったなしに見えるこのシステムですが、不思議なもので導入以降の方が出席率が向上し、成績も安定するようになりました。システムに人を合わせるのではなく、人にシステムを合わせた結果が人にとって快適なのは、ある意味必然なのかも知れません。
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