引きこもり改善のコツは、適度な自由である。
CARPE・FIDEMはいくつかの活動環境を保有していますが、その中には築100を超える古民家もあります。
日本における不動産評価は、主に土地に力点が置かれているようで、仮にそれが歴史の試練に耐えた文化財級の家屋であったとしても、築100年も過ぎれば資産価値など雀の涙。メンテナンスにやたら費用がかかるだけの、厄介なお荷物となります。
その一方、「価値が無いなら、価値を付与すれば良いのでは?」と考えるのがCARPE流。全く資産価値の無い古民家を改修すること既に8年となり、少しずつですが、暮らしやすい環境が整ってきました。もっとも、まだまだ先は長く、10年一括りの緩やかな整備ですが。
先日、この古民家の作業を手伝ってくれていた卒業生が、夜の宴席で面白い話をしていました。
「自分はずっと都内にいて、大学も基本は都会。人の多いところには、必ず人を縛るルールがあり、そのルールを守らないと、何らかの処罰が待っている。幼少期から都会にいたので、それが普通だと思っていたが、知らず知らずのうちに、自分の行動は縛られていたような気がする。中学生で不登校になる前から、それはずっと。
ここ(CARPEの古民家)では何をしても良い。怒りに任せて壁を破壊しても怒られないし、思いつきで部屋を作っても良い。予算も潤沢にあって、好き勝手に色々買っては、皆やりたい放題にやってる。
自分を無遠慮に全て解放して、やっと自分の限界が見えてきた。限界が見えてきたから、人との付き合いもやりやすくなった。限界まで解放しても、自分はせいぜいこの程度というのが分かったから、相手に与える損害の程度も予測が出来るようになった。
自分が傷つくのも怖いし、他人を傷つけるのも嫌。だから、自分は、相手との関係作りが下手だった。でも、それは自分が自分の攻撃性をよく理解していなかっただけのこと。実際に攻撃してみて、理解が進めば、案外問題は簡単なんだと。
多分、自分はもう都会でもやっていける」
昔から、同様の話をする子達はいましたが、今年もまた一人、といったところでしょうか。ただの個人的趣味で遊び、のんびりと地元の生酒を堪能しているだけでも、期せずして妙な副産物が得られるようですから、まったくもって気楽な稼業です。
兼ねてより、私は「不登校・引きこもりは基本的に無能力問題である。何らかの無能力が原因で、社会から撤退せざる得なくなっているのだから、不足している能力を補うことが、最良の改善策となる」という立場でCARPEを運営していますが、能力はあれども、単に能力に気付いていないだけの人もいて、能力問題を認識の俎上に乗せれば、自然とケリがつくこともあります。そして、認識を促すには、それに相応しい環境が必要。
30代も終盤となり、昔と比較すれば随分耄碌してきましたが、重要なポイントはまだ外していないようです。
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