「引きこもりに対して、思いやりをもって接しましょう」
は、既に引きこもり支援業界における不文律みたいになってるけど、正直あれは止めた方が良いと思う。(まあ、今更もう無理なんだけど・・・・・・。)いや、別にそれが幅広く実行可能で、現実に改善ルートに繋がっているなら良いけど、実際はほぼ真逆。
家庭に精神的・経済的余裕があるなら、多少は可能かも知れない。ただ、ベタ甘な「思いやり」で人生終了みたいな中年引きこもりが溢れている上、社会の側が恒常的に思いやりを持って接してくれることなど、まずあり得ない。思いやり前提の行動指針は、社会に出る前後でいつか破綻する。
しかも悪いことに、この傾向を受けてか「思いやりを持って接して貰うのが当たり前!」のようなイタい当事者が、30~40歳以上の手遅れ群を中心に漸増していて、特に社会経験のない長期高齢引きこもり群の思考は、社会の平均から大幅にかけ離れてしまっている。
少し前にTwitterにも上げたけど、基本「思いやり」を向けられる段階で既に弱者判定されている訳で、中学生や高校生ならまだしも、自立を旨とした人間からすれば、これほどまでの侮辱はない。そこを、積極的に「思いやり思いやり!」なんて言って喜んでいるようでは、最早尊厳なんか消し飛んでいる。
個人的には、このような尊厳の消し飛んだ人間を量産する原因が「思いやりを全面に押し出した支援」に見えてならない。表面的には正しいように見えるし、スタートの切り口としては良いかも知れないが、この方向性を提示した支援者は、一体どのタイミングで社会との摺り合わせを行うつもりなのか? ベタ甘な状態を続け、何の訳にも立たない無能を量産し、最後は生活保護前提で社会に丸投げするのではないか、という疑惑が、どうにも消えない。
良い顔は、誰にでも出来る。しかし、必要なタイミングで厳しく接することは、非常に難しい。最も困難な要素を二の次に、表層だけ取り繕う浅ましさは、引きこもり支援業界に延々と残る悪習。分かる人は、避けて欲しい。
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