不登校・引きこもりからの大学進学塾

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不登校・引きこもりに関連する「賢い教育」の受け方

客観的視点と冷静な現状分析に加え、社会の足を引っ張り続ける社会主義系既得権益層を鋭く批判する姿勢から、城繁幸さんの論評は私も非常に好意的に見ております。その中に面白い話題がありましたので、紹介をば。

「企業が博士を採用したがらない理由」

https://news.yahoo.co.jp/byline/joshigeyuki/20180824-00094289/

高校の同期に、東大理系現役入学・博士課程・大手製薬研究員という、何か色々とコンプリートしてる友人がいまして、確か彼の結婚式に出席したときの話だったと思うのですが、

「いや、本当に就職は怖かった。修士ならまだしも、博士まで行くと流石に怖い。専門も狭まるし、入社タイミングは遅くなるし、大学の研究でその差を埋められるかどうか分からないし、景気悪いとどんな採用されるか分からないし。就職失敗したら本気でどうしようかと……」

とのこと。

幸い、彼の心配は杞憂に終わり、今では分かりやすいエリート研究員として平和な家庭を築いている普通のパパな訳ですが、これだけの好条件を揃えた学生であっても、博士選択は怖い。

特に大きいのが、年齢的遅延。進学上は何の遅延が無くとも、社会に出るタイミングの遅さが、どうしても不利になるわけで、在学中の成果と本人の人格、教授との相性、そして何より景気循環を見据えて遅延以上のパフォーマンスを見せないことには、「ただ漫然と勉強しただけのダメな人」という扱いになってしまう。これが、彼の恐怖の根幹にあるのでしょう。

 

テーマは若干ずれますが、しかしこの事実は、何らかの遅延のある不登校・引きこもり当事者にも同様のことが言えます。即ち、「受ける教育の品質問題」です。

少なくとも「教育」を受けるなら、その教育によって確実に何らかの成長があり、その成長が後の人生に有効性の高い影響を与えて初めて、教育の価値が出るわけです。ただ、「学位が欲しいから」とか、「学歴があった方が良いから」のような発想でいると、

「とりあえず大学入るか。どこでも良いから、入りやすい私大文系Fランで」

「入ってみたけど、空気合わないし、中学生レベルの勉強してるし、何のために行ってるのか分からない」

「大学なんて意味ないわ、辞める。アホくさい」

なんて展開になります。

このような幼稚な判断をする引きこもり当事者は、実はかなり多く、彼等は口々に大学の無意味さを語りますが、そもそもの問題は、そんな大学へ何も考えずに入学した本人達に原因があるわけです。稚拙な判断能力と見通しの甘さが全ての元凶であり、形式論でしか考えられない愚かしさが見て取れます。

逆に賢い当事者は、入学前の段階から、進路に関するアセスメントをきちんと行っていて、入学までの費用と入学~卒業までの費用、そして、その後の生活水準や保証の程度を事前に調べ、自分にとって十分なメリットがあるときのみ、進学を選択します。メリットがないなら、そもそも教育など関与せず、資金獲得のために仕事をする。これが、教育に対する本来のあり方でしょう。

 

私は教育分野の人間ですが、教育という方向性を全面肯定したりはしません。世の中には、学生のための教育と言うよりは、寧ろ講師の生活を守るための無意味な教育もあり、学生の社会参画的には全く無価値にもかかわらず、講師側の論理で教育が推奨されることもあるためです。

参加希望の子の面談をした際に、こんな話がありました。

「以前少し行っていた塾では、専門学校しか行かないような子に、必要の無い授業をいくつもさせていました。しかも、その専門学校が声優養成みたいな将来性の無いところなのに、『それは良い! 頑張れ!』と無批判に薦めるんです。その後どうなるかなんて、少し考えれば誰でも分かるのに、教える側がそれを止めないんです。先生が馬鹿なのか、そうでもしないと収益にならないのか分からないですけど、流石におかしいと思って辞めました。

第一、専門学校前提なら塾はいらなくないですか? 『その専門学校行くなら、すぐそっちに入った方がいいよ』と薦めるのが普通だと思うんですけど。自分も、『是非ウチに入ろう! お薦めだし、愉しいことが一杯あるよ!』と急かされて勢いで入りましたけど、実際は聞いてたのと全然違ったし、その段階でおかしいと気付くべきでした」

これなんかは、典型的な講師都合の教育です。

講師都合の教育には、

1:そもそも必要が無いのに押しつけられる教育

2:受けたにしても、ほとんど何のメリットもない教育

の二つがあります。上記の例では、「必要の無い授業をいくつもさせる」が1に、「声優養成の専門学校」が2に該当します。

1に関しては、講師の生活を支えるためだけに発生している教育で、全く無意味です。見つけ次第、すぐに止めましょう。進路先に関係しないのに、妙にアレコレ薦めて来るのは、大体がこのケースです。

2は、学習環境には身を置きますので、一見すると意味ありがちですが、卒後の状況を精査することで、大筋は分かります。尚、子供の側で「この分野が好きだから通いたい!」のように言われても、卒後のメリットが無い無意味な進路なら、親の側できちんと止めるべきです。ナアナアで済ますことが、そもそもの悲劇の始まりです。

投入資金の割にリターンの少ないカテゴリとしては、「ゲーム」「アニメ」「ファッション(モード関連全般)」「無試験で入れる大学」があり、どれも社会情勢の分からない子供達には人気があるため学校は存在しますが、出口がほとんど存在しません。

不登校や引きこもり当事者の場合、現状での所属組織が無い分、人生の先行きに直結する「進路先の選択」はいくら精査してもし過ぎることはありません。教育資金の上限を考えてみても、「とりあえずここでいいか。楽だし」なんて安易で適当な判断など、普通は出来ないはずです。

 

不登校や引きこもりから進学を検討するなら、まず最低限として

1:その教育は本当に自分のためになるのか?(講師都合の教育になってないか?)

2:その教育は、後々の自分の自立のためになっているか?(コストパフォーマンスは良いか?)

の二点は真っ先に注意して、無意味な費用をかけず、自分にとって最高の成果が得られるように確認しましょう。

それに加え、

3:教える側の品質は大丈夫か?(学力が低いor経験の乏しい講師に当たってないか?)

4:表面的な謳い文句と内部の実情が一致しているか?(広告だけが巧みなところは注意。)

5:卒業生の進路先と、卒業生-講師間の関係は良いか?(変なところは、卒業生が寄りつかない。)

まで分かれば、変な結果にはならないでしょう。

教育分野の人間が言うのもおかしな話ですが、教育は無敵ではありません。同時に、手間とコストに加え労力と時間も掛かる、非常に地道で、ときに大変面倒な作業です。そしてそれは、学生にも講師にも等しく同じことが言えます。

それ故、教育を妙に賛美する人は、少々怪しいと思いましょう。教育に対する無批判な賛美は、現場を知らない人間が行うアジテーションであり、ただの広告に過ぎません。まして、一度躓きがある不登校・引きこもり関係者なら、尚のこと注意すべきです。

教育には可能性がありますが、支払う額に対してリターンがどの程度なのか、必ず検討して下さい。「無意味な教育を見抜く目」を養うことは、未来の自分を守る一つの手段でもあるのですから。

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