不登校・引きこもりからの大学進学塾

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引きこもりのウソ・ホントその1「引きこもりは本当に心優しいのか?」

たまたま寄ったバーで知り合った人に、

「引きこもりの人達って優しい人多いって聞きますけど、本当ですか?」

という質問をされたので、ついでにこちらにも書いておきます。

結論から言えば、ほぼ100%ウソです。引きこもり心優しい説は昔からありますが、実際は普通の人達と何ら変わりありません。引っ込み思案な人が多く控えめなため、上っ面だけ見れば「優しく」見えることもありますが、これは観察者側が実態を把握しきれていないだけのことです。

しかし、「引きこもり心優しい」説は、発生するだけの事情が昔からありました。

A:「社会の落伍者」という立ち位置故、立ち直らせるためにも、周囲(主に支援者)は彼等を好意的に評価せざる得なかった。

B:しかし、無能力者の多い引きこもりを好意的に評価するには、「優しい」という抽象的で、誰にでも当てはまるような曖昧な表現しか他に手段がなかった。

C:また、精神的自立が遅れ、自己定義の乏しい引きこもり当事者も、「優しい存在」と定義付けされた方が楽だった。

D:何より、周囲に優しくしておけば自分が叩かれる可能性も下がるので、自己防衛を図りたがる当事者としても「叩かれないようにするため」に、優しい風を装った。

E:親の側でも、「うちの子は引きこもっているけど、本当は優しい子なんです!」とか何とか言っておけば、社会的体裁を最低限繕うことが出来た。

以上のような事情により、「引きこもり心優しい」説は、親・本人・支援側の全てにおいて都合の良い定義(落とし所)だったため、特に引きこもり本人がどうであろうとも、「引きこもりは心優しくなくてはいけなくなった」訳です。まあ、半ば強制的にそういうキャラに仕立て上げられたというのが、幾分真実に近いでしょう。

関係者全員がそう言っているのですから、実態なんか出ようがありません。何も知らない人からすれば信じるしかないわけで、事情など知る由もありません。

で、

「そうか~。引きこもりは優しいのか~。優しいから汚い社会が辛いんだね~。大変だな~」

とか思ってしまう訳です。これが悲劇の始まりです。どんな悲劇かは、最早言うまでもないでしょう。

個人的な経験則ですが、引きこもりで「優しい僕」「優しい私」のような自己定義に塗れている人は、大体が何も出来ない無能力者で、かつ長期化する傾向にあります。無能力故、まっとうな自己定義が出来ず、「優しい自分」という幻想にすがりたくなるのでしょう。

無論、若いうちは過ちもあるものですから、10代前後ならそれでも良いのですが、30歳超えて、40歳50歳にもなってもまだ「優しい僕」「優しい私」なんて言ってるのは、呆れる通り越して、最早ただ気持ち悪いだけです。

上記のような事情が分かっていれば、不利益にしかならない「引きこもり心優しい」説なんて主張するはずもなく、事情が読めるだけの頭のある人達は、まず「引きこもり優しい」論には与しません。逆に、主張したがる人達は、親にせよ本人にせよ支援者にせよ、最初から問題を解決する能力が無い、或いは解決するつもりの無い人達なので、グダグダと現状維持を続けることしか出来ません。ただ、どうにもその矛盾に気付かない残念な人達もいるようで、単純なはずの引きこもり問題を、過剰に困難なものにしています。

「自分達のような優しい人間が報われないなんて、社会がおかしいに違いない。社会が変わるべきだ!」

「弱者に厳しい汚い社会で上手くやっているなんて、成功者は悪質な人間に違いない!」

「汚くなる位なら、例え社会に出られなくても、綺麗なままの方が良い」

かくして、自称「弱者と社会正義を守る、優しい引きこもり」の歪んだメンタリティが形成され、それは動かざること岩の如し、となるわけでございます。

批判されるのであまり言いたくないですが、引きこもりの長期化は、半分以上が人災です。先人の話を聞く限り、もうこれは二十年以上続いているようなのですが、災害を起こす人達はその間何も変わっていません。その上厄介なのが、その人災を起している本人達(親・当事者・支援者)の三者全員が自分達が原因だと気付いてない場合で、更にタチが悪くなると、自分達の正当性を主張したいがために、その人災をまだ間に合う若年引きこもり家庭にまで伝播させたりします。ここまで来ると、最早善意を装った犯罪に近いと言っても過言ではありません。

「引きこもり心優しい」論の背後には、このような三者三様の利権にも似た、ズブズブでドロドロの事情があります。無意識のうちに進む「心理的談合」とも言え、長期高齢引きこもり周辺に渦巻く屈折した集団病理です。全く意味の無い行為ですので、まだ間に合う人は、典型的な失敗例の一つとして意識しておきましょう。

仮に心優しい引きこもりがいたとしても、その比率は社会一般のそれと何も変わりありません。引きこもりだけが特段優しいなんて話は、限りなくウソに近いのです。

 

結論:「引きこもり心優しい」論は、そうなってくれると都合の良い人達が適当に作り上げた作話である。

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