不登校や引きこもりとは全く関係なかったのですが、以前掲載した、
が、何故か意外と好評だったので、無関係な話ですが、続きをば。因みに、知り合い向けに書いている部分もありますので、悪しからず。
まだ私が大学生のときの話ですが、ワインの買い方云々について、よく方々で議論をしておりました。
「安さこそ至高。高級ワインなんざクソ食らえ!」コスパ教原理主義者(極左系呑兵衛)
「テロワールを重んじることこそ、ワインの真の歴史を云々・・・・・・」中世から来た修道士
「別に、美味けりゃ何でも良いんじゃない?」ワインと日本酒何が違うの?派
等々、様々な意見が様々な年齢層から出て、愉しくワイワイやっていたのですが、一つの傾向に、あるとき気がつきました。
「飲み慣れている人ほど、低価格高品質なものを求め、初心者等、飲み慣れていない人ほど、高価なワインの蘊蓄を好む傾向にある」
これは丁度、ワイン文化が定着しているヨーロッパのレストランでは単価が安く(小売価格の1.2~1.5倍程度?)、定着が遅れた日本のような国のレストランほど単価が高い(小売価格の2倍以上)のと同じことで、生活に密着するほど消費頻度が増えるため、単価も下がる傾向にあり、「ハレの日のお祝い!」にしか抜栓しない場合等は、途方も無いご祝儀価格になるのと軌を一にしています。
ご多分に漏れず、私も20歳前後のときは蘊蓄優先の修道士で、何か新しい知識を手にしては同類の友人達と議論し、バルク購入もどきの買い方をする両親に向かって、偉そうにダメ出しをしたものです。
が、あるとき事実に思い至ります。
「3,000円/本を超えると、万単位のワインと同じ品質のものが普通に出て来ないか?」
つまり、ワインの品質と価格は実に綺麗な対数関数の関係になっていて、500円と1,000円の品質差は大きいものの、10,000円と100,000円の品質差はほとんどない。と言うか、分からない。分からない以上に、品種や濃淡等の好みや保存状態の問題の方が変数として大きい。なら、そんなに高い金額出す必要ないのでは、と。
確かに、エシェゾーとロマネ・コンティは違うでしょうし、歴史云々を含めてテーブルを賑わせられるかどうかは、より価格が反映されるポイントかも知れません。ただ、「それにどこまで支払うのか」という観点になると、我々庶民には、お財布を含めた諸々の現実的お話が首をもたげるわけで。特に、デイリーユースのものは。
そこから10年。個人的に行き着いた、低価格帯ワインに関する一つの結論が、
「テーブルワイン1ml 1円の法則」
つまり、ボトル1本750円が、当たり外れのバランスをギリギリ維持出来る基準線、言い換えれば、外れても「まあいいか」で済ませられる一方、当たれば当たったで、「ラッキー! また買おう!」と思える、損得勘定的心理境界線であるということ。
この金額を下回ると、かなり上手く狙わないと外れ率が上がり(特に白はしょーもないものが増える。モノによっては、微発泡だったりする。)、気落ちする確率が大きくなる。安い方が望ましいことは当然だが、対数関数の原点付近にある、奈落の底へ落ち込んでいくような急激な下げ幅は甘受し難い。そのギリギリのバランスが、「1ml 1円」
他にも、
「ノン・ヴィンテージよりは、ヴィンテージで。ただし若い年度に限る」
「極力ニューワールド系で。生産単価の高い旧世界は、一応疑う」
の条件が揃えば、味の方向性は単純になってしまいますが、しょっぱいワインを引く率は低くなるような気がします。
とは言っても、これは一杯100円のサイゼリヤのグラスワインに対し、
「価格を考慮に入れると、非常に良いバランス。企業努力の成果は、自分も見習うべし」
なんて判断するような私の好みですので、味覚に優れた当代随一の人達からしたら謎理論でしょうが、標準的な凡人のレベルからすると、案外間違ってもいないんじゃないかな?
以上のような論理により、私としては、「テーブルワイン1ml 1円の法則」を強く主張したいわけなのですが、ここで悩むのが国産ワインの存在。
CARPEは、東京都の千代田区が本拠ですが、都内だけだと飽きるので、活動拠点の一つとして山梨県にも比較的大きな合宿所を所有しており、その関係で、山梨県のワインには触れる機会も多く、卒業生が集まってはアレコレ論評することがあります。
ただ、地元民の一人として、コレについては一つ言いたいのでございます。
「地元産なのに、山梨県のワインは高い!」
確かに、時代の方向性として、高級化路線は必然だと思いますし、先進国で生産する以上、人件費の観点から値下げが難しいのは分かるのですが、品質に対する費用対効果が少々悪すぎやしませんかね? マスコミ発の評価を見ていると、品質的にはボトムアップの傾向にあるようで、世界的に評価されつつあるのも喜ばしいことではあるのですが、価格設定が少々微妙な気がします。平均的な売り場の様子を見る限り、中心価格帯は2,000~3,000円/本。1,000円/本のものもあるにはありますが、品種不明なものも多い上、どこか混ぜ物っぽい。5,000円/本以上も特に珍しくなく、フランスやイタリア産だとしても、かなり良いものが揃えられるゾーンです。
国産高級セダンと同じで、最初から輸出前提・海外消費前提なら、まあそれもありかと思うのですが、しかし地元民の口からは徐々に離れつつあるのではないのか? とまあ、こう思うわけです。県内周囲で意見を聞いても、日常的に飲むというよりは、基本はお祝い用や贈答品用で消費されている感じがしますし。
このような意見に対して、生産者側からの対案と言えるかどうかは微妙ですが、「百姓の葡萄酒」のような、一升瓶サイズのものも市場には出回っていて、大筋「テーブルワイン1ml 1円の法則」の基準を満たしています。味はバラツキますが、上手く選べば、まあまあ悪くない程のもの「も」あります。
ただ、原材料を見れば分かりますが、この種のワインで主に使われているのは山梨のブドウではなく、恐らくバルク輸入された濃縮ブドウジュースで、所謂「日本産(ブドウから全て日本で生産)」ではなく「国産(ブドウは海外産で、国内で醸造しましたという意味)」。比較的国産ブドウを使っていると思しき「百姓の葡萄酒」シリーズでも、部分的に入っています。
その結果か否かは不明ですが、時期によって味が全然違うこともあります。昨年度の「百姓の葡萄酒 赤」はそこそこ旨かったのですが、今年度は一段階落ちを感じます。(少し寝かせたら、多少改善しましたが。)逆に、白は結構美味しい部類にありました。
個人的には、山梨県がワイン大国(大県?)になるためには、高級化路線による国際戦略も行う一方で、日本酒と同様、地元でリーズナブルなテーブルワインを県産ブドウで生産出来るようにすることが大切だと思っています。何も、ものすごく高級なものを安くしろと言っているわけではなく、セカンドワイン、サードワインに落とすようなものを安価にまとめ、ライトでも新酒の旨味で勝負するようなものが、もっと表に出てくれると嬉しいな、と。
いくつかレストランを回り、オーナーさんの意見を聞いてみても、値段と品質のバランスで考えると、
「県内産は、白は上々。赤はまだまだ」
という意見が多く、海外と同質のものを求めるには、軽く倍以上の値段を払わないと釣り合いません。赤に至っては、三倍払ってもニューワールドに押し負けることが度々です。気候や人件費の点から難しいのは十分分かっているのですが、何か一捻り欲しい気もします。
勿論、文句ばかり言っているわけではなく、山梨の赤には赤で、別の楽しみ方があるとも思っています。
以前、弟夫婦が遊びに来て、市内を車で案内したときのこと。
「ちょっとストップ! あそこに小さな店がある!」
と、急遽車から飛び出し、ワイン専門店に入る弟。しばらく待っていると、
「見たまえ、悠輝君! 山梨のピノ・ノワールやで!」
と、意気揚々、生産量のほとんど無いらしい、貴重な1本を選んで来たことがありました。ブルゴーニュのピノ・ノワールは分かりますが、山梨のピノ・・・・・・だと?
早速、ドライトマトにオリーブ、生ハム並べて飲んでみましたが、
「・・・・・・醤油顔やな」
「うん。日本人形のようなピノやな。能面と言うか」
「・・・・・・土だべか?」
「土だべ」
「でも、悪くないよな?」
「Ja」
「・・・・・・領収書ある?」
「見るな!」
なんてやり取りがございました。良いワインではあるんだけどね・・・・・・。
品種が同じでも、植わる場所で表情が変わるのは私にも分かります。ただ、日本のそれは違いが大きい。何というか、まったりまったりなんですな、おじゃる丸みたいに。この辺の違いを味わう意味では、確かに結構面白い部分もあります。
他にも、べーリーAなんかは、山梨に来るまでは知りませんでしたが、やはり特徴の強い品種だと思います。イタリアのマイナー路線を探し求めて、「アリアニコは良かでっしゅ」なんて言ってる面々ですので、この辺は楽しみ所です。
問題はただ一つ。「価格」。コレ大切。
改めて読み直してみると、何が言いたいのかわけ分からない文章になりましたが、要は山梨のワイン生産者の方には、アクセスしやすい県産テーブルワインのバリエーションと品質を、もう少しご考慮頂いて・・・・・・と言うことです、ハイ。
とは言え、まずは山梨ブランドが世界に煌めいてこそ、我々下々の者へ施しをするだけの余力が出るものかと思われまする。気長に待ちますので、生産者の方々におきましては、
「急がず焦らず 参ろうか」
の心境で、まったりまったり、おじゃる丸式平安貴族のようなテンポで、評価向上に努めて頂きたく御座候ふ。
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