こんなこと言うのも何ですが、今年は色々と気持ちが楽です。本当に。
ツイてないときは、本当にツイてない。何をやっても上手く行かないし、いっその事寝てた方がいいんじゃないかと思って寝ていると、そんなときに限って、義務的作業が次々に来たりする。そんなことありませんか? 私も春先まではそんなことの繰り返しで、兎に角大変でした。
ただ、何のかんので頑張りの成果が数ヶ月してから実を結び、最終的には、10年近く懸案だった問題が無事に円満に解決し大発展を遂げただけでなく、その他の課題も次々に成果を出し始めました。今は全てが良好に転じ、ここまで安定的で平和なのも久しぶりです。
ただ、これには手助けをしてくれる卒業生達の存在があります。
特例を除き、CARPE・FIDEMは卒業生しか採用しない「縁故主義」の会社です。これは、「不登校」や「引きこもり」という性質上、運営の実情が分かる人でないと問題解決が難しいから、という現実的判断から始まっていますが、一方で指導レベルの高い卒業生は医学部に進学することが多く、地方へ流れてしまう結果、指導側の総数に限界がありました。(結果として、私が全科目教えることになるのですが、いい加減なことも出来ない以上、それはそれで仕方ないことです。)
ところが、ここ最近は関東圏の医学部へ進学するケースがちょくちょく出始めた関係で、段階的に指導を分散させ、私自身は取りこぼした単元のバックアップにまわることが可能になってきました。今後も、医学部だけでなく、東大や早慶他、比較的指導側にまわりやすい立ち位置の子が増えてくれることを期待しています。
色々な意味で、多くの人達の手助けを得られるようになった関係で、今年の運営は例年に増してスムーズかつ(私にとって)楽なものとなりました。これなら、保留になっていた別事業の方も進められるかも知れません。関係者の方々、今後もよろしくお願いします。
苦しいときほど踏ん張りをきかせるのが信条ですが、ようやくそれも結果が見えてきました。今の「楽」がどれだけ続くかは分かりませんが、今後も、これが続くことを祈って。
少し前にもどこかで書きましたが、昔の不登校と違い、今の不登校には悲壮感がありません。確かに不登校自体は問題でしょうし、中には大きなトラブルを抱えているケースもありますが、総合的には問題のレベルが軽度になっています。
総数自体は相変わらず多いものの、程度が軽くなっている点を鑑みるに、不登校問題は改善の方向に向かっていると思われます。先の進学・就職ルートがある程度見えるようになってきたため、不登校そのものが矮小化しているのかも知れません。
広告代理店の博報堂が、つり目リーゼントの古いガチンコヤンキーと比較して、地方の「ゆるいオラオラ系」を「マイルドヤンキー」と定義したのは5年程前ですが、不登校についても、昔の絶望的不登校と比較して、「何となく不登校」を「マイルド不登校」と定義しても良い気がしますね。
昔の不登校は、壮絶な「いじめ」のような、誰が見ても「すぐ逃げた方が良い」とアドバイスしたくなるようなものが比較的多く、現場にもそれなりの緊張感がありました。しかし、今の不登校の子達の話を聞くと、
「何となくネトゲやってたら起きられなくなっちゃって……」(生活習慣+仮想空間系)
「学校は行ってないけど、友達とは結構繋がってます」(ラインあるなら、学校って意味なくね?系)
「行っても良いけど、うちの学校馬鹿多くて話しててつまらない」(頭の回転良すぎる系)
のような例が過半数を超え、昔のような「逃避的不登校」という形式から「選択的不登校」へと姿を変えています。
「逃避的不登校」は、概して学校環境に押し潰されかけている、「消極的不登校」です。学校がまともなら通いたいと思っているものの、友人関係やクラスの空気、学業不振、或いは教員の姿勢など、何らかの要因で学校へ行けなくなっているケースです。旧来型の不登校は、こちらに該当します。
一方で「選択的不登校」は、学校で大きなトラブルはないものの、登校に対するメリットを見いだせず、他の環境を模索している「積極的不登校」です。かつて、通信設備が脆弱だった時代には、眼前で会わないとコミュニケーションが取れませんでした。しかし、現在はPCなりスマホなりで通信環境が非常に良いため、体を動かさずとも人間同士のリンクが得られるようになっています。そのため、学校という物理的環境に「移動」する意味を見いだせなくなっている子達が出現しているのだと思われます。
具体的トラブルがないため、概して積極的不登校は「怠け者」扱いされがちですが、事実は必ずしもそうではありません。大人と比較して、子供は新しい環境に対する感受が巧みで、彼等の動きは、「怠惰」というよりは寧ろ「適応」に近いものがあります。
核兵器の開発も、最初は実際に核実験を物理的に行うことで進められていましたが、データが蓄積されるにつれ、シミュレーションだけで開発が可能となっています。これと同様に、学校という物理的空間も必要性が乏しくなり、物理性を必要としない仮想的なデジタル空間だけで、ある程度ニーズが満たせるようになってきたのでしょう。彼等は、その変化に巧みに適応しています。
ただ、仮想空間だけで十分かと言えば、それもまた違います。確かに、データのやり取りだけなら楽ですが、人間は生身の肉体から切り離して生活することが出来ません。また、自分の思考だけで人生に上手く伍していけるわけでもありません。家に留まれば体も衰えますし、人と会わなければ、小さな所作一つ取っても不備が生じ、負い目を感じるようになります。
今でも各種メディアを見ていると、「不登校」=「かわいそう」「助けてあげなきゃいけない存在」のように扱われていて、寧ろそれを促すような傾向さえありますが、個人的には、この「マイルド不登校」の流れを見ている限り、そんな扱いは必要ないと思っています。情報提供は必要ですが、大人がアレコレお節介かけるほど、最早不登校は大きな問題ではなくなってきている気がしますね。
多少の注意点はありますので、それはまたどこかで書くことにしますが、要点をまとめると、
「不登校も普通の生き方になってきて良かったね」
ということです。
「悠君、でも何でそんなにおじいちゃんおばあちゃんの墓参りに来たがってたの?」
GW中、母方の祖父母の墓参りに行った際、伯母さんからポロッとこんなことを言われました。最近は、30代そこそこで、わざわざ遠方まで出向いて墓参りする酔狂な人も少ないからでしょうかね。
「いや、そんなスゴい理由はないです。単に傲らないように。人間、何事も上手く行ってるときは傲るので、年に何回かはきちんと頭を下げようと」
「は~。偉いねえ」
「いえ、道徳的観点からではなく、純粋に自分の利益のためです。傲ると、結局ロクな事が無い(笑)」
仕事半分ながら、今年のGWはそんなこんなで、しばらく隔たっていた親族関係者を巡る部分が多々ありました。母方の伯母さん夫妻と、その娘さん(私から見れば従姉妹でしょうか。)からは、母方の家系の様子を振り出しに、戦前戦後の苦労話や、高度経済成長期の変化の速さなどを聞きましたが、話題には事欠きませんでしたね。
「おじいちゃんがもう少し生きてくれていたらねえ……」
は私の母の口癖ですが、それでも尚、祖父母が繋ぎ合わせたこの関係は得難いものだと思います。
思い返せば、私は総合的に見て「人」に恵まれた人生を送っています。
適切なアドバイスと、精神的・経済的安定を保証してくれた父母。
時宜に合わせ、反目と協力と調和を共に学んだ弟妹。
社会での立ち位置を、別視点から教えてくれた親戚。
歳を重ねても、今なお途切れることのない友人達。
アレコレ言いながらも、何やかんやで一緒にいる妻。
私は、基本的に保守的な人間です。新時代を志向した「自立と責任意識の無い個人主義」が、結局節操の無いヒッピーまがいの安いっぽい文化と、修復不能なまでの家庭間の分断を生み出した様を見ているので、どうしても行動がその逆に動きます。
そして、その逆の行動には、何らかの「縁」を基盤として、多少の不自由を抱えながらも、質の高い人間関係が形成されることを知ってしまった。今回の旅行もまた、それを再確認させるものとなりました。
より良い人の周囲には、より良い人々が集まります。周囲がおかしいなら、自分も大なり小なりおかしいですし、それが嫌ならより良い環境へ場所を変えれば良い。変えないなら変えないなりに、その人もおかしい人々の仲間の一人ということなのでしょう。変えられないというのは大体が言い訳で、変える気のある人はいつだって変えています。
多少の責任意識と、多少の自立意志があれば、自然と好ましい人間関係が形成される。今ある環境もまた、自分が作り出したものであると再認識出来、大変満足な休暇となりました。この点だけは、自分で自分を評価したいところです。
社会人になってから気付いたことだと思いますが、能力面で総合的に優れ、安定的な人は、大体いつもニコニコしている気がします。
簡単なことのようですが、「いつもニコニコ」は非常に難しいです。人間誰しも、感情の起伏があります。睡眠不足のときもあるでしょうし、嫌なことばかり続いて落ち込んでいるときもあるでしょう。愉しいことを前にすれば明るくもなりますし、試験を前にすればピリピリもするでしょう。
しかし、どのような状況でも「いつもニコニコ」しているとするなら、これは中々大したものだと思いませんか? 推察ですが、このような人は、
1:いつも心に余裕を持つことを心掛けている。
2:トラブルの対処が巧みである。
3:物事の優先順位付けが適切である。
4:陰鬱は無礼なことだと理解している。
5:自分を肯定的に見ることが出来る。
等の条件を粗方満たしている人ではないかと思います。
私は、自分自身にこれといった長所が無いためか、自分よりも優れた人が大好きで、優れた部分があると積極的にマネをするようにしています。ただ、この「いつもニコニコ」はなかなか難しい。頑張ってみても、どこかで微妙に欠損が出ることが多いです。
理由は良く分からないのですが、この「いつもニコニコ」出来るひとは、優秀なキャリアウーマンの人に多く見られる気がします。女性特有の耐久性がそうさせるのか、はたまた最近の女性が兎に角優秀なのか判別はつきませんが、周囲に対して非常に良い影響を与えていることは間違いありません。
難しいことではありますが、私も「いつもニコニコ」出来る人間になれるよう、日々心掛けたいと思っています。
映画「で、トイレどこですか?」
家の周囲をグルグル回りながら、チェックを終えた映画君と長靴君が戻ってきます。
E「向かって左側の廊下奥。途中の廊下は2人以上で乗るなよ。床板が折れて落下するから」
映画「……排泄さえも安心して出来んとは」
長靴「……」
ファ「でも、ここのトイレ臭くないですね。ぼっとんなのに」
E「全てを飲み込む深淵の闇を恐れて、誰も使わないからのう。臭くなりようがない」
野球「虫来ないなら何でもいい」
虫が嫌いな野球君も含め、皆トイレに興味津々です。
E「まあ、そんなことより、そこの3人は、畑を潰してくれ。今回はコペン君も来て、車が多いから、そこを潰して車両スペースを作らないと。ファーブル君は階段作りな。縁側に上がりにくいから、大工作業をヨロシク」
全員「うい~」
~1時間後~
ファ「出来ました!」
E「お。これはなかなか」
ファ「不安定ですけど、とりあえずはいけるでしょう」
E「うむ、上出来じゃ」
日曜大工を進めるファーブル君の一方、畑組は苦戦中です。
映画「ダメだ~! この杭は抜けん」
長靴「これ、土の中でコンクリでくっついてないか?」
野球「そこで真打ち。僕のソフトバンクホークス的フルスイングですよ!」
納屋から持ってきた鉄製の斧を振りまわりながら、野球君が笑顔でやって来ます。
E「あ、ちょっと待て! その斧は把手がボロくなっ……」
野球「オリャア!!」
快音と同時に、付け根から砕けて地面に刺さる斧。
映画「っぶね!!」
長靴「方向考えろよ!」
野球「うわ~。マジで砕けましたわ~」
E「言わんこっちゃない。古い農機具だからな。後でコペン君に修理して貰おう。まあ、責任もって、三人でその杭は抜いておけよ」
三人「うい~」
~1時間後~
野球「せいや!」
長靴「ほいや!」
映画「あいや!」
野球「せいや!」
長靴「ほいや!」
映画「あいや!」
E「……何やってんだ、あいつら」
ファ「三方向から杭を殴りつけると、ジワジワ抜けて来るらしいんですよ」
E「……脳筋やな」
野球「せいや!」
長靴「ほいや!」
映画「あいや!」
野球「せいや!」
長靴「ほいや!」
映画「あいや!」
~1時間後~
野球「! 今動いた?」
長靴「いけるか!?」
映画「ここは私にお任せを!」
スゴい顔で杭を引き抜く映画君。
映画「んが~~!!!」
野球「やれ! いけ!」
長靴「後少し!」
映画「!!!」
長靴「やった!」
野球「いったか!」
映画「取ったど~!!!」
「父親達の星条旗」のようなポーズで杭を引き抜いて、歓喜に打ち震える三人。
E「錆びた杭一本でここまで盛り上がれるのは素晴らしいね……」
ファ「生産性限りなくゼロ……」
万歳三唱の中、後発のキャラバンが到着します。
三人「バンザーイ! バンザーイ!」
ジギング「??? こいつら何やってんだ?」
ネトゲ「何か嬉しそうだね……」
廃墟「……」
富山「……」
スーパードライ「……」
廃墟さんと富山さん、スーパードライさん女子三名の生ぬるい視線を浴びながら、男達の戦いは幕を閉じたのでありました。
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